東京地方裁判所 昭和24年(行)89号 判決 1952年6月11日
原告 富士産業株式会社
被告 国
被告 東京国税局長
―目次―
当事者の表示
主文
事実
I 原告の請求の趣旨及び被告らの答弁の趣旨
II 請求の原因
第一 概要
(一) 一、原告の事業の国営移管とその解消――工場財産の一括移転とその還付
(二) 二、原材料仕掛品等の移転と還付――国営移管による原材料等消耗の損失補償
(三) 三、戦時補償特別措置法による課税処分と審査決定
(四) 四、納税義務の不存在と審査決定の違法
第二 第一軍需工廠設立に伴う原材料仕掛品等の所有権移転とこれに関する経理的措置について
(五) 一、国営移管の手続は二通の令書の送達による
(六) 二、使用令の効果としての原材料仕掛品等の所有権の工廠帰属
(七) 三、国営移管は臨時的一時的
(八) 四、強権発動の経理的善後措置――売買の形式による損失補償の協定
(九) 五、被告ら主張の売買契約の不存在
(1) 工廠設立準備委員会の使命
(2) 経理関係事務処理要領とその委員会附議の趣旨
(3) 契約の締結について重役会株主総会に附議していない
(4) 原材料仕掛品の含み利益を無視
(5) 簿外資産の存在と簿内資産の不存在
(6) 契約締結についての諾否の自由なし
第三 終戦による工廠廃止に伴う原材料仕掛品等の返還と補償関係の整理について
(一〇) 一、原材料仕掛品等の所有権の原告への還付とその時期
(一一) 二、原材料等の所有権復帰の法律原因
(1) 国家管理の解消による返還
(2) 信託関係の終了による返還
(3) 契約の一部合意解除による返還
(一二) 三、原材料等の返還に伴う損失補償額の改訂
(一三) 四、被告らの反論(三一)に対する応酬
(1) 両度の内金払の請求
(2) 返還物資に対する補償
(3) 工廠設置の事実を無視する整理方法の提案なし
(4) 移管資材と返還資材の同一性
(一四) 五、被告主張の売買契約と相殺に対する反駁
(1) 明示暗示の売買の合意なし
(2) 覚書の本旨
(3) 売買に一括ということなし
(4) 相殺とは差引計算の意味
第四 課税処分の違法
(一五) 審査決定における課税価格の増額の手続的違法
(1) 不利益変更の禁止
(2) 手続における違法
(3) 国税局長に課税権なし
(4) 増額された部分について審査請求する途がない
(5) 審査決定において増額の必要も実益もない
(6) 審査は原処分の範囲内で処分の当否を判断すべきもの
(7) 法運用上の顧慮
(8) 旧行政裁判所の判例は適切でない
III 答弁の事由
第一 原告の主張に対する認否と被告らの主張の概要
(一六) 一、請求原因事実の認否
(一七) 二、被告の主張の基礎の(1)―資材の買収によつて原告の取得した対政府の売渡代金請求権
(一八) 三、被告の主張の基礎の2―資材の払下によつて原告の負担した対政府の買受代金債務
(一九) 四、被告の主張の基礎の3―両債権債務の相殺
(二〇) 五、終戦後の決済にかかる戦時補償請求権に対する課税
第二 第一軍需工廠設立時における原材料仕掛品等の買収について
(二一) 一、工廠設置の方法と消耗資材等買収の必要
(二二) 二、資材等買収契約の締結
(二三) 三、買収契約の原告による否認(九)の論駁
(1) 工廠設立準備委員会の性格
(2) 経理関係事務処理要領の本旨
(3) 重役会 株主総会附議の省略
(4) 流動資産に含み利益なし
(5) 簿内資産の不存在
(6) 買収契約の自由契約性
(二四) 四、使用令の効果についての原告の立論(五)乃至(七)に対する反論
(1) 総動員法の解釈
(2) 経済的の目的とこれに到達する法律的手段
(3) 消耗的資材返還の予想なし
(4) 使用令の効果についての当務者の誤解
(二五) 五、買収は損失補償の形式ではない
第三 工廠所有の原材料 仕掛品等の有償払下について
(二六) 一、終戦時匆々の間における払下の必要
(二七) 二、終戦時の有償払下を裏附けるもの
(二八) 三、予備的主張―覚書交換による売買
(二九) 四、売買契約の原告による否認の論駁
(三〇) 五、会計手続上における相殺の処理
(三一) 六、独立の契約の成立を否定する前提に立つ原告の立論に対する反論
(1) 終戦後二回にわたる買収代金全額の請求
(2) 簿価十九億円の資材を金四億円で払下げたこと
(3) 工廠設置の事実を無視する整理方法の提案の拒絶
(4) 買収資材と払下資材とは同一でない
(5) 買収契約額の改訂を提議したことなし
第四 審査決定の適法性について
(三二) 審査決定は適法
(1) 国税局長の権限
(2) 賦課処分に対する審査の目的
(3) 戦補法三一条の解釈
(4) 審査決定の再審査の必要なし
(5) 改正所得税法の審査制度
(6) 申告納税と判例の不可変更性
IV 当事者双方の証拠の提出及び認否
理由
第一 はしがき
(三四) 一、当事者間に争いのない事実
(三五) 二、本件の争点
第二 原告の工場の国営移管時におけるその所有の原材料仕掛品等に対する措置とこれに関する政府債務の成立について
A 政府が原告所有の原材料仕掛品等の取得のため予定した具体的措置
(三六) 一、民間航空機工業の国営移管問題の進展―その閣議決定
(三七) 二、経理関係事務処理要領の策定
(三八) 三、資材等売買契約とその必要性
B 原材料仕掛品等についての政府の買上方針に対する原告側の態度と売買の実施等について
(三九) 一、第一軍需工廠設立準備委員会とその使命
(四〇) 二、国営移管の実行
(四一) 三、原材料等売買契約の認定―戦時補償請求権の成立
C 原材料等の所有権の工廠移転原因等についての原告の主張を採用できないこと
(四二) 一、原材料等の所有権の工廠帰属は使用令によるものではない
(四三) 二、原材料等の所有権の工廠への帰属は使用の観念ではありえない
(四四) 三、乙第二号証の契約金は損失補償ではない
(四五) 四、(九)の所論について
第三 第一軍需工廠の廃止に伴う同工廠手持資材等の処分とさきの国営移管時における原材料仕掛品等に関する政府債務の整理
A 終戦直後に第一軍需工廠の手持資材等の所有権が原告に移転された事情
(四六) 一、軍需大臣通牒の内容殊に資材処分の工廠長官への委任―発牒の事情
(四七) 二、大臣通牒に基く工廠長官通牒による資材等の所有権移転及びその手続
(四八) 三、資材等の所有権を原告に移転した事情
B 終戦直後に原告に譲渡された資材等に関しその後に原告と商工省整理部との間に行われた交渉経緯と昭和二十一年一月八日附覚書に基く決済について
(四九) 一、工廠整理事務の二焦点と原告及び政府の対立する意見
(五〇) 二、交渉の推移とその妥結
(五一) 三、覚書による協定の内容と資材等払下の対価相当金の決定
(五二) 四、払下対価相当金の相殺による消滅と政府債務の残額の支払
(五三) 五、資材等払下の有償無名契約の成立―みぎ契約上の債務と対政府請求権の相殺による決済
C 原材料等の所有権の原告への移転原因並びに政府債務の処理についての原告の主張を採用できないこと
(五四) 一、大臣通牒第二号の解釈
(五五) 二、(一一)の所論について
(1) 使用令の失効と資材の移転との間に法律的因果関係なし
(2) 売買に際し他日返還の合意なし
(3) 売買契約の合意解除は認められない
(五六) 三、(一二)の所論について
(五七) 四、相殺の手続に違法はなし
第四 被告東京国税局長が原告の審査請求についてした処分の適否について
(五八) 一、審査決定において課税価格を増額することの手続面の適否
(五九) 二、問題の所在
(六〇) 三、旧所得税法六十八条一項又は所得税法旧五十条一項の規定による審査における課税価格の決定
(六一) 四、戦補法三十一条の規定の解釈
(六二) 五、補足的説明
(六三)
第五 総括
目次終り
一、主 文
一、被告東京国税局長に対する原告の確認の訴は、これを却下する。
二、被告らに対する原告その余の請求は、これを棄却する。
三、訴訟費用は、原告の負担とする。
(以上)
二、事 実
I 原告の請求の趣旨及び被告らの答弁の趣旨
一、請求の趣旨
(1) 被告東京国税局長が昭和二十四年九月三日附審査決定通知書をもつてした原告の戦時補償特別税の課税価格更正決定に対する審査決定(審査決定による課税価格金拾五億壱千壱百七拾弍万九千八拾七円五拾壱銭)を取り消す。
(2) 原告が、前項掲記の審査決定価格中、麹町税務署長の昭和二十三年八月十日附納税告知書に記載された戦時補償特別税金四億弍千弍拾参万八千円について、納税義務のないことを確認する。
(3) 訴訟費用は、被告らの負担とする。
二、答弁の趣旨
(1) 原告の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は、原告の負担とする。
(以上)
II 請求の原因
第一概要
一、原告は、もと中島飛行機株式会社と称し、航空機の製作等を目的としていたところ、昭和二十年八月十七日にこれを紡績・魚網・車輛等の民需品の製造販売に変更し、商号を現在の富士産業株式会社に改称した。
被告国は、過ぐる太平洋戦争末期の昭和二十年四月一日に国家総動員法に基いて原告の事業一切を国営に移し、これをもつて第一軍需工廠を設立したので、同工廠は、原告所有の原材料・仕掛品等を含む原告の工場財産全部を一括して管理することとなつた。みぎ国営移管は、戦争遂行を目的とするものであつたので、同年八月十五日に終戦となるや、その目的が消滅し、工廠の廃止と事業経営の移管も解消したので、被告国は、原材料・仕掛品等を含む工場財産全部をまた一括して原告に還付したのである。
二、原告から工廠への事業経営の移管は、国家総動員法に由来する工場事業場使用令に基く昭和二十年四月一日附の使用令書及び供用令書の各送達によつて行われた。そうして、工場所属の原材料・仕掛品等は、工場自体とともに一括して当初みぎ使用令の発動によつて被告国に移転し、後に国営移管の解消によつて原告に還付されたことは、前項に述べた。ところで、被告国は、原材料・仕掛品等の移転によつて原告に生ずる損失補償額を算定し、これを支払う必要があるので、先ず原材料・仕掛品等の被告国への移転については、国営移管後の同年七月中に原告との間において損失補償額を金十六億五千五百十万千八百六十一円十九銭と定めたが、その支払に関する経理手続の便宜上、売買の形式で整理することとし、文書の作成日附を同年四月一日に遡記して、その旨の契約書を交換した。しかるに、終戦時までにその支払がなされないうちに、前述のとおり、原材料・仕掛品等の原告への還付が行われたところ、被告国は、この還付についてもまた、経理手続の便宜上、後に昭和二十一年一月八日に払下の形式で整理することとしたので、原告との間において、同日附でその旨の覚書を交換し、さらに同年五月中にその金額を金四億二千二十三万八千五百三十円十二銭と協定したが、みぎ覚書の趣旨は、被告国において、さきの売買代金請求権名義の数額と後の払下代金債務名義の数額との差額の請求権を終局的に原告に帰属させることによつて、被告国が戦時中の国営により、もと原告所有の原材料・仕掛品等に加えた損失を補償することになつた。もとより、この種書面の作成によつて、その形式のとおりに、二回にわたつて売買が行われたわけではなく、従つてまた、その都度売買代金請求権ないしは払下代金債務という二個の対立する債権債務が発生したものでないことは、もちろんである。すなわち、前者の場合にあつては、移転した資材等についての損失補償額の協定が行われ、後者の場合にあつては、さきの補償額の計算について、資材等の返還による爾後の調整がなされたに過ぎないのである。
よつて原告は、昭和二十一年五月中にみぎの趣旨において、さきの契約額から後の契約額を控除して、その差額を損失補償として被告国に請求した。
三、しかるに、その後昭和二十一年十月中に戦時補償特別措置法が施行されたところ、麹町税務署長は、前述契約書又は覚書の作成ごとに、原材料・仕掛品等の売買又は払下が行われたものと解し、前項に述べた原告の金員請求に際し、昭和二十年八月十五日以前を弁済期とする戦時補償請求権のうち、前述の被控除額に相当する金四億二千二十三万八千五百三十円十二銭について、同法施行前に相殺による決済が行われたものと認定し、昭和二十三年八月九日にこれを包含する金十三億二千三百六十八万三千百四十六円九十九銭の更正決定をし、同年同月十六日に金四億二千二十三万八千円の納税告知書を原告に送達した。そこで原告は、(四)に後述する趣旨において、昭和二十三年九月一日に被告東京国税局長に審査請求をしたところ、同被告は、昭和二十四年九月三日附の審査決定書を同年同月五日に原告に送達したのであるが、該決定書において同被告は、みぎの事実について税務署長の決定を維持したばかりでなく、審査決定額は、税務署長の決定額に比し増額して金十五億千百七十二万九千八十七円五十一銭となつた。
四、しかし既に(二)に明かにしたとおり、原告は、もともとその所有した原材料等の資材が、その事業の国営移管中に、これによつて損耗されたことによる損失補償の請求権を有することは、事実であるが、被告らの理解するような独立した二個の債権債務は発生したことがなく、かような対立債権の存在を前提とする相殺は、あり得ないのであるから、前述の被控除額相当の戦時補償請求権たるものについて、戦時補償特別措置法に規定する決済もないわけであり、麹町税務署長のした通告にかかり、延いては、前述昭和二十四年九月三日附の審査決定通知書に包含される金四億二千二十三万八千円は、不当の課税であり、且つ原告の審査請求に対し、被告国税局長が原更正決定額に比し課税価格を増額する審査決定をしたことは、その内容の当否如何にかからず、手続上違法なものとして、取り消さるべきである。
よつて原告は、被告東京国税局長の為した前述審査決定の取消しを求め、あわせて、これに包含される戦時補償特別税金四億二千二十三万八千円の納税義務が原告に存しないことの確認を求めるのであるが、以下被告らの主張に対する反駁を兼ねて、進んで原告の積極的主張を詳説する。
第二第一軍需工廠設立に伴う原材料・仕掛品等の所有権移転と、これに関する経理的措置について
一、原告は、米軍が沖繩本島に上陸した昭和二十年四月一日に当時の軍需大臣吉田茂から原告の所属財産に対する使用令書、並びに、従業員に対する供用令書の送達を受けた。そしてこれと同時に第一軍需工廠の開廠式が行われて、原告の経営下に在つた航空機製作事業は、物的及び人的の全面に亘つて、現状有姿のまま一団として国営に移管し、全工場事業場を含む原告の財産は、動産不動産を問わず、また帳簿に記載されていると否とを問わず、全部工廠の占有使用するところとなり、原告の全従業員は、同工廠の従業員となり、従来の操業は、毫も中絶することなく同廠の経営に移行した。すなわち、軍需大臣は、みぎ工廠移管に際し、特に、「工廠ノ設立ニ当リテハ徒ニ法令ノ瑣末ヲ墨守スルコトナク」実行すべき旨を訓示し、前記二通の令書により、すべての工場財産の移管を命じたのである。このようにして移管の実際は、みぎ令書の送達のみによつて行われ、原告の所属財産は、商業帳簿に至るまで、一括して国の管理するところとなり、工場等施設には使用権が設定され、原材料・仕掛品等の所有権は、工廠に帰したのであつた。それは、被告らの主張するように、工場内部に属する物件に対する個別的の法的手続によつて行われたものではない。
二、被告らは、総動員法の解釈論として、使用令の効果が消費物である原材料等に及ぶ筈はないと主張するが、(二四(1))、当該使用令書(乙第一号証)には、使用の範囲として、「前項ニ掲グル工場事業場ニ属スル土地、建物其ノ他ノ工作物、機械、器具其ノ他当該工場事業場ノ用ニ供スル物ノ全部」と記載され、しかも工場事業場使用収用令施行規則第五条の規定による土地調書、建物調書・設備調書等一切の物件別明細書は作成されなかつたのであるから、原告会社の当務者が、使用令書にいう「物ノ全部」とは、原材料・仕掛品等を包含し、使用令の効果は、これらの消費資材にまで及ぶものと考えたのは当然である。のみならず、使用令書が送達されても、その効果が原材料・仕掛品等に及ばないとするならば、一日として工廠移管の目的は達せられない。従つて、工場移管の命令が出た以上、その当然の帰結として、原告が原材料・仕掛品等を一括して国の自由処分に委ねたことは、当時の情勢において、極めて自然の措置であつた。また、同年三月二日の閣議において政府が決定した国営移管の方針として情報局の発表したところは、「今回の措置は、国家総動員法第十三条に基く工場事業場使用収用令の発動によるが」云々と述べるだけで、資材に関しては、別に触れるところがない。しかし、当時の情況において陸海軍が第一に着目したのは、原告の工場や機械ではなく、国の至宝と見られる優良且莫大な資材であつた。従つて、この資材のことを忘れたり、軽視したりすることはあり得ないにかかわらず、あえて方針中にこれに触れていないのは、政府においても、使用令の発動により資材の所有権を取得し、国営移管の目的を達することができる、と考えたがために外ならない。
かりに、国家総動員法の解釈上、消費物資を使用令の対象中に包含させることは適法でないとしても、そのことは戦時中政府は、適法でないことを実行しなかつたという結論を導くものではない。前項に掲げた軍需大臣の訓示は、前引用に続いて、「又従来ノ制度ニ拘泥シ或ハ既往ノ形式的観念ニ捉ハルコトナク」と述べており、もつて当時の空気を知るべきである。現に政府は、原告に対し使用令を発しながら、受領調書の作成・交付その他使用令の発動に伴いとらねばならぬ法令上の諸手続を殆んど実施していない。すなわち、戦争の危機に臨んで政府のなすところ、法令違反をあえてしたことを如実に示している。戦時補償特別措置法別表第一の第十号の規定は、当時非合法の処分の行われたことを公認している。
三、当時みぎのように使用令による一括移管の方法がとられたのは、移管が臨時的且つ一時的であり、たとえその時期を予想できなかつたとしても、戦局の平静化又は戦争の終結等によつて航空機製作事業の国営を必要としなくなつたとき、或は、国営工廠の能率が予期のとおり上らない場合に、当然その経営が一体として原告に復し、工場及びその運営の要素である原材料・仕掛品等もそのまま原告に返還されることが予期されていたので、使用の方法をとり、あえて恒久的な収用の方法を避けたのであつた。そのため政府は、工廠の設立後も原会社を存続させ、原告が従来のとおり株主に対し七分の利益配当を継続して存続するに必要な一切の費用を使用令による使用料名義で、原告に補償することとしたのである。
四、前出一及び二によつて明かにされたように、原告所有の原材料・仕掛品等の所有権が国の手に帰したのは使用令の発動に基くものである。一歩をゆずり、被告らの主張するように、若し使用令の効果がそれに及ぶことを許さないものとすれば、政府は、違法の処分により、これを取得したものである。かくして政府は、原材料・仕掛品等の移転について、原告の損失を補償することとし、その額を決定する便法として、評価の対象物件等を原告の財産目録記載のものに限定し、これを政府が買い上げる形式をとり、且つ、これらのものの帳簿価格による金額を代金名義で原告に支払うこととし、国営移管後三ケ月以上を経過した同年七月に至り、みぎの整理方式を定めた契約書(乙第二号証)を作成したのである。このように後日に売買の形式を整え、且つ、代金名義の金額を協定させたことは、原告のいう原告の事業の国営移管の手続として、これに伴う経理手続の便宜に出た経理的善後措置としての整理方式であり、代金名義の金員は、使用令による移管に伴う損失補償である。しかも資材を取得した賠償を売買代金の形で支払う、という方針自体は、政府が前述の閣議において、国営移管を決定したときに確定されていた既定のものであり、原告は、政府のこの方針に服従して契約書に署名したものである。なお、後出(九)(6)にも触れるが、この契約は、自由意思を前提とする売買契約でないゆえんが明かである。
このことは、みぎ契約書(乙第二号証)の前文中に、「昭和二十年四月一日附二〇文第一四一号軍需大臣使用令書ニ基キ」云々と規定されたところに表わされている。また、みぎ契約書に買収資産として掲げてあるものは、帳簿登載のものだけとされているが、実際は、帳簿に登載されていない簿外資産も工廠の占有に移されて使用されたことも、使用令の効果として考えることによつてのみ説明できるのである。さらに、移管物資の価格の算定について、軍需省経理係官は、できるならば、原告から承継した船舶・運搬具・工具・器具・材料・仕掛品・前払金及び試験研究費等について、実在調査をしたうえ、その価格を算出し、原告に対する損失補償額を決定すべき筋合であつた。しかし原告は、全国に五百余の工場を有し、しかも莫大な数量の物資を有していたので、急迫した時局下における調査の実行は、到底不可能のことであり、他面国営移管のための経理措置は、簡易迅速を旨とする、というのが当初からの軍需省の方針であつたので、この補償額を決定する便法として、補償の対象を原告の財産目録記載のものに限定し、その金額も帳簿価格によるものとして、当時これを遙かに上廻る時価を無視して評価した。このような方式で、原告所有の原材料・仕掛品等を買い上げる形式をとつたことは、全く経理手続の便法であり、それが当時会計検査院によつて承認され、原告もまた、これに同意したゆえんのものは、工廠廃止の場合において、本件の原材料・仕掛品等は、現状有姿のまま工場とともに返還されることが予定されていたからである(前項参照)。というのは、工廠が廃止されるときにおいて、工場等は、一体として原告に返還されるわけで、原材料等は、工場運営の要素であるから、これを伴わない工場の返還は、原告にとつて意味をなさないとともに、国としては、工廠経営中資材をその用に供すれば目的を達するのであつて、工廠廃止後に工場だけを原告に返還し、原材料等を第三者に売却するなどということは何人も予想しないところであつた(後に(一一(1)(2))に説明するように、現に終戦後予定のとおりに行われている)。
これを要するに、前述の契約は、原告所有の原材料・仕掛品等に対する政府の強権措置により原告のこおむつた損失の補償額を協定したものに外ならない。売買の形式の実質は、補償であり、事実売買契約が締結されたわけでなく、原材料・仕掛品等がもとよりみぎ契約によつて移転したものでないことは、もちろんである。
五、しかるに被告らは、昭和二十年四月一日に国営移管と同時に、暗黙の合意により、原材料・仕掛品等に関する売買契約が成立したと主張する(二二)。しかしながら、その主張の失当であることは、上記諸事実並びに、つぎに述べる理由によつても明白である。
(1) 被告らは、売買契約の成立する過程として、原材料・仕掛品等を買収する方針を第一軍需工廠設立準備委員会に附議して、その承認を得た。と主張する(二二)。しかしながら該委員会は、軍需大臣の設置にかかる政府機関の一つであつて、その意見を軍需大臣に上申し、行政の運用に資することを目的としたもので、他の政府機関や特殊会社設立の場合の準備委員会とその性格を異にしない。その委員がどこから選ばれたかということは、問題でない。被告らは、該委員会は、諸問題の「協議」を目的とするというが(二三(1))、それが「審議」の意味であれば、そのとおりであるが、政府と原告との間の契約の協議を意味するとすれば、委員会の本質を無視した独断というの外はない。
そもそも、政府との間に売買契約を締結したというには、政府と対等の地位に立つ原告会社代表者との間に協議がなされなければならない。ところが、中島社長の委員長たる地位は、軍需省内の一機関にすぎない。また同年三月八日軍需大臣から中島委員長あての訓令中に「貴下ハ委員ヲ指揮シ第一航空兵器廠(仮称)ノ創設業務ヲ実施スベシ。」とあるのをみても、中島委員長は、陸海軍人たる委員の指揮権を与えられたのであつて、原告を代表して政府側委員と契約を協議する地位に立つものでなかつたことが明瞭である。従つて、中島社長が委員長として買収案を承認したとしても、それは政府の任命した委員長としての資格において承認したものにすぎない。また該委員会に軍需省官吏中から命ぜられた委員十六名、委員補佐十六名が出ているのに、軍需省の契約の責任者であり、後に契約書の署名者となつた大田経理局長や、主任課長たる西山契約課長は、委員に入つていない。若し準備委員会が会社との契約の協議をする任務を与えられていたものとすれば、大田局長や西山課長が委員に入つていない筈はないのである。従つて、単に原告会社社長が該委員会の委員として参加したとしても、これによつて政府と原告との間に契約が成立したとみることは、委員会の本質を無視し、事実をまげた擬制である。また委員会の実際の経過においても、政府と原告との間に、売買契約が協議されたような事実はなかつた。
(2) 被告らがその主張の拠点として引用する「第一軍需工廠設立ニ関スル経理関係事務処理要領」が、第二軍需工廠設立に関する乙第九号証と同一内容であることは、これを否認する。かりに、両文書がその主要の点で一致していたとしても、使用令書の出る前の準備段階において、これが作成されたことをもつて、昭和二十年四月一日に工廠の発足と同時に資材等の売買契約が結ばれた、とするのは、事実を無視した独断である。みぎ処理要領中にいう資材の買収とは、これよりさき昭和二十年三月二日の閣議決定にいわゆる使用のための経理的措置の一つとして、売買の形式で、資材等取得のための補償を行うという方針を示したものである。政府がこれを前述委員会に附議したとしても、決してこの案をもつて原告と契約の協議をするという意義をもつたものでなく、将来工廠の幹部となるものに政府の方針を理解させ、工廠発足後の実務の整理を円滑ならしめる目的に出たものに過ぎない。原告会社の当務者が資材の買収という政府の方針を知つたとしても、これをもつて、直ちに原告の同意と見ることは、法理及び常識の許さないところである。なお、ついでながら、前示閣議決定の情報局発表中に、「使用のための経理的措置は(中略)別途定む。」とされておるが、その経理的措置とは、単なる計算上の事務をいうのでなく、乙第二号証による契約の如きことまで含むものであることについては、原告も異議を挾まない。ただ、原告は、乙第二号証の契約書は、売買契約に関するものでないことを主張するまでであるが、この点については、前出(八)に譲る。さて、ふたたび工廠設立に関する経理関係事務処理要領についての論議に戻つて、そのうち官営移行業務の(四)に、「買収資産ノ引継要領」と題して、「買収資産ハ固定資産ニ在リテハ、固定資産台帳、棚卸資産ニ在リテハ在庫表及半成品台帳ヲ当該製造廠ニ於テ其ノ儘引継グモノトス。」「前項引継要領ハ(三)ニ準ズ」とあるが、これは資産を買収するかどうかを附議したものでなく、既に買収の形式で補償することに決定している資産の引継基準及び手続を議題としたものである。また、その(七)に「買収資産の処理及価格算定要領」と題して「買収資産ノ買収ハ近畿地方軍需管理局ニ於テ実施スルモノトシ、固定資産及棚卸資産ノ価格算定ハ其ノ帳簿価格ニ依ルモノトス。」とあるのも、買収するかどうかの方針を議題としたものでなく、買収の形式で補償することに決定している資産の買収事務取扱の執行部局及び価格算定基準を示したものにすぎない。被告らは、別紙附表に「買収ス」ということが書いてある、と指摘するけれども、別紙は、附属の一覧表であつて、本文に定めのないことを附表で新たに定める筈がない。別紙附表は、国営移管の根本方針の定つたときに決定した事項と経理関係事務処理要領で定められる事項等一切を綜合して一覧表を作り、読者の便宜に供したものに外ならない。
(3) 本件において、被告等が暗黙の合意による売買契約の成立を主張するのは、(二二)、まことに不合理である。すなわち、十三億九千二百余万円という、原告の有体財産全部の三分の二を占め、資本金の八倍以上に相当する巨額の財産を処分するのに、重役会の議にかけず、株主総会の決議も行わず、一片の契約書さえ作成しないで、暗黙の意思表示により売買契約を結んだと考えることは、社会通念上余りにも不自然で、常識では到底考えられないところである。
(4) また原材料・仕掛品等の売買価額が帳簿価額によることとされているのも、真の売買でないことの証左である。当時一流の事業会社の財産の実価が帳簿価額に比し多分の含み利益を持つていたことは、公知の事実であり、原告についても、国営移管当時の土地一千七十六万九千坪の評価額は、七千八百二十六万二千余円であり、坪当り金七円余にすぎない。これは、極端な例であるとしても、原材料・仕掛品等についても、相当の含み利益があつたにかかわらず、帳簿価額によることにしたのは、政府の強権の作用の結果であつて、真の売買でないことの証拠である。
(5) 財産目録記載外の簿外資産は、明かに前掲契約書の目的外の物であるにかかわらず、目録記載のものと同様に工廠の自由処分に委したのである。政府が簿外資産を含めて買収する趣旨であつた、との被告らの主張(二二)は、前述契約書第一条の規定の明文に違背する解釈である。かりに、簿外資産も契約に包含されるとすれば、帳簿価額だけでなく、簿外資産の価額も加えるのが当然であるにかかわらず、単に帳簿価額で買収したのは、不合理である。すなわち簿外資産は売買によらないで国の手に移つたと断定せざるを得ないのであり、この一事は、問題の原材料・仕掛品等が売買によらなければ国に所有権の移る筈がないとする被告らの主張を覆えすに充分である。なお、この点について、被告らは、簿外資産の存在を簿内資産の不存在と見合つたものとするような立論をするが(二三(5))、両者は、会社経理から見て本質的に全く異つた問題であつて、これを同列に論ずることはできない。というのは、簿外資産の存在は、いずれの工場経営会社においても制規の会社会計手続上必然的に発生し累積される合理的現象である。たとえば、原告会社の実例では、工具・器具等のうち戦時中の航空機工業原価計算規則によつて、単価が一定額未満のものは、すべて消耗器具工具として取り扱うことになつており、これは職場に払い出されたとき、経費として帳簿から落ちるが、使用期間中は、簿外資産として職場に現存する。また償却済の資産のようなものも、帳簿からは落ちるが、財産として残る。現に最近の立法においても、簿外資産の存在を当然のこととして、その取扱方を規定しているほどである(資産再評価法第七条参照)。これに反して、簿内資産の不存在は、会社担当者の故意又は不注意の存する場合にのみ考えられるのであつて、会社経理上当然に生ずるものではない。企業の健全性維持の点から経理担当者の第一の責任は、簿内資産の正確な管理であつて、その不存在を放任することは許されない。会社が毎月の仮決算において、最大の時間と努力を費すのは、簿内資産の存在を照合確認することである。そして簿内資産の不存在は、商法違反となる。従つて、この点に関する被告らの所論は、理由がない。
(6) およそ自由意思に基く売買が成立したというためには、契約の一方当事者である原告に諾否の自由がなければならないし、国としても、諾否を原告の自由に委すのでなければならない。ところが当時の情勢として、原告は、原材料・仕掛品等の移管に異議を述べることのできる地位になかつたし、国も原告の自由に委す意思のなかつたことは明白である。従つて、後に売買契約書を交換したとしても、それは民法上の売買契約ではなくて、強権措置に伴う要償額の協定に外ならない。被告らは、原告が使用令の発動後に原材料等を引き続き所有したとしても、その利用の途がなく、むしろこれを政府に売却することが時宜に適した措置であつたと主張する(二一)。しかしながら、もしそうだとすれば、この事実は、原告の自由意思に基いて売買が行われたものでないこと、かえつて使用令発動の効果がここに及んだものであることを示すものに外ならない。思うに、工場事業場に対する使用令の発動によつて、前述のように価値の極めて大きい原材料・仕掛品等に対し活殺自在の権を握ることは、国家総動員法の予期しているところではない。このような場合は、よろしく政府は、同法第十条の規定による収用令を発動すべきであつて、これが発動された場合には、同法第二十九条の規定に基く総動員補償委員会の議を経て、収用による損失を公正妥当な基礎計算で補償すべきであり、使用令の発動の結果として原材料等を利用する途がなくなつたことにより、その価値が減少した等のことは、考慮に加えられるはずがないのである。従つて、かような方途に出なかつた本件の場合は、自由意思による売買が行われたと見るよりは、(五)(六)に前述したとおり、使用令の発動の効果として、または違法な強権措置によつて、原材料・仕掛品等を政府に提供させたものと見る方が相当である。
第三終戦による工廠廃止に伴う原材料・仕掛品等の返還と、補償関係の整理について
一、工廠発足後四ケ月余の同年八月十五日に終戦を迎え、ついで臨時的の工廠が廃止されるにさきだつて、その工場設備・機械等とともに、船舶・運搬具・工具・原材料及び仕掛品等の工場財産全部が原告に還付されたことは、(一)に前述した。
みぎの措置は、昭和二十年八月十七日附軍需大臣通牒(乙第六号証)、並びに、これに基く同年同月十八日附第一軍需工廠長官通牒(甲第六号証)によつてなされ、原告は、再び原材料・仕掛品等の所有権を取得したのである。これについては、当時の軍需省及び会社関係者の認識は、完全に一致している。すなわち、みぎ大臣通牒の第二号は、「原会社ヨリノ借上設備及機械等ハ原会社ニ復ス」と指示するが、ここに機械「等」とは、原材料・仕掛品等をふくむ趣旨である。このことは、後者の通牒の第三号に「資材ハ民需ニ振向クル如ク貴社ニ於テ適宜処理スルコト」と示されてあつて、資材を原告に還付することを前提としての指示が与えられているところから明かである。
原告は、これらの物件の返還を受けてから、その物の上に完全な所有権を行使し、公然にこれを使用処分して来たのである。原告が前述の通牒によつて、原材料・仕掛品等の所有権を取得したことは、本件の進行中に原告が明白に論証したところによつて、被告らにおいても、第一次的についにこれを認めざるを得なくなつたのであるけれども、若し被告らが予備的になお主張するように、これら物資が昭和二十一年一月八日まで国有財産であつたとしたならば、その間における原告の使用処分が公然認められるはずはないのであつて、終戦当時から昭和二十一年一月八日までの間における、以上の事実と相容れない数々の被告国の態度から考えても、所有権移転の時期及び原因に関する被告らの予備的の主張は、誤りである。
二、前項に述べるように、原材料・仕掛品等の所有権が終戦直後に原告に移つたことは疑ないのであつて、みぎ所有権移転の法律原因は、通牒に明示されていないが、当然つぎのとおり解すべきでものである。
(1) 問題の原材料・仕掛品等は、終戦に伴い工廠の国家管理の解消によつて、工場機械等とともに、原会社である原告に返還され、原告は、その所有権を取得したのである。そもそも、原告の事業の国営移管は、政府において、単に看板を変えただけのことであり、政府は、使用令の効果として、または違法の処分によつて、当時原告の保有した原材料・仕掛品等の所有権を取得し、よつて工場の全部をその管理に移したことは、既に、(五)及び(六)に前述したとおりである。原材料・仕掛品等のかつての移転原因がみぎのいずれでもあつたとしても、それは、臨時的措置であつたから(前出(七)参照)、終戦とともに、工場の国家管理が廃止された以上は、事態を原状に戻すという政府の当初の方針に基いて、工場施設とともに、自然的・合理的に原材料・仕掛品等も原告に返還され、その自由処分に委ねられたものに外ならない。それは、新たな売買によるものではあり得ないのである。
(2) かりに百歩を譲り、原材料等の補償に関する前掲契約書を売買契約書と解するとしても、それは、通常の売買でなくて、一種の信託的譲渡であり、終戦により工廠が廃止され、信託的関係が終了したので、目的物が原所有者である原告に返還されたものである。
すなわち、原材料・仕掛品等について売買契約が結ばれたとしても、これらの物は、当該工廠において、その必要の限度内で、使用されるという了解があり、またなんらかの理由によつて、工廠が廃止されるときは、残存資材が工場とともに原告に返還されるという了解が伴つていた(前出(七)参照)。前述した航空機製造工場の国家経営に関する閣議決定は、国営を恒久的方策でなく、臨時の措置として行うことを明かにしており、また原告は、全業務・全工場資産を工廠に提供したにかかわらず、依然会社を存続し、工廠廃止による事業復帰のときに備えて来た(前出(七)参照)。また、莫大な資産につきなんら時価の算定をせず、一切の含み利益を無視して帳簿価格による譲渡を応諾したこと(前出(八)参照)は、目的物が引き続き当該工廠で使用され、工廠廃止のときにおいて、同じく帳簿価額で返還されることが予想された場合であればこそ考えられる便宜の手段であるに過ぎない。従つて、終戦により国家管理の目的が終了するとともに、みぎ信託的関係は終了し、原材料・仕掛品等は、工場とともに当然原告に返還されたのであり、それは、新たな売買契約締結の効果ではないのである。
(3) かりに千歩を譲つて、原材料等の補償に関する前掲契約書が普通の売買を意味するとしても、工廠廃止とともに、その所有権が原告に戻つたことは、原売買契約のうち、その目的であつた原材料・仕掛品等の残存している部分について、合意による契約解除が行われた結果である、と考えることができる。
契約解除の明示の取り極めはないが、原材料・仕掛品等の所有権が、若しかりになんらかの合意によつて原告の手に戻つたものとすれば、契約解除の合意があつたと見ることが最もよく当時の事実と当事者の意思に合致する。思うに、工廠廃止に伴い、原材料・仕掛品等を工場とともに原告に返還する場合、当初の売買代金が未だ一文も支払われていないのにかかわらず、従来の売買契約をそのままとして、新たに残存資材・仕掛品等について、改めて売買契約を結ぶという迂遠な方法をとることは、社会通念上考えられないのであつて、むしろこの場合は、原材料・仕掛品等の残存する限度において、契約を解除するということが直截簡明であり、最も自然で合理的な解決方法である。
以上(1)ないし(3)のうち、いずれの解釈をとるとしても、問題の原材料・仕掛品等は、終戦後工廠の国家管理の廃止に伴い原告の手に返還されたのであつて、原告が新たな売買契約によつて所有権を取得したものではない。
三、さて、さきに工廠設立時に政府は、使用令を発して原告所有の原材料・仕掛品等を取得し、よつて原告がこおむつた損失について、原告及び政府は、その補償額を協定したことは、(八)に前述したところであるが、政府は、(一〇)に述べる原材料等の所有権復帰の当時に至るまで、未だそのものの国営移管による消耗に対する補償をしていなかつた。よつて、これら損失の補償を整理のうえ支弁するため、軍需省の事務を引き継いだ商工省整理部は、国営移管後に作成された原材料・仕掛品等に関する未決済の前述契約書(乙第二号証)を引き継いで、その処理をすることになつた。しかし、その契約書による債務のうちには、既に終戦当時原告に返還された物件の価格に相当する支払債務がなお包含されている。そして、契約書表示の債権は、性質上損失補償の請求権であるので(前出(八)参照)、商工省整理部は、本来ならば、該金額から既に原告に返還済になつている資材の終戦当時の価額を差し引いて、補償額を協定した前述契約書による政府債務を計算確定すべきものであつた。
しかるに政府は、昭和二十一年一月八日に至つて、さきに原告に返還されている物件について、原告が政府から買い受けた形式をとり、その買受代金と政府債務とを両建として、政府債務の整理計算を行つた。このような形式で政府債務の整理が行われたのは、全く経理手続上の便宜手段であつて、計算の結果表われる金額は同一であるが、方法としては、全く事実に反したものである。みぎの整理方式が単に経理手続の便宜手段としてとられたにすぎず、真の売買でないことは、終戦当時の昭和二十年八月十七、八日頃に既に原告が返還によつて所有権を回復している物件を、その後に至つて新たに買い受けるというようなことのあり得ないことによつて明白である。ただ物が原告の手に戻つた以上、当初国営移管に当つて、損失補償又は売買契約によつて原告が政府に対し取得した債権は、物の復帰した限度において、訂正控除するのは、理の当然である。それは、原状回復又は不当利得の観念に基く計算の調整であつて、昭和二十一年一月八日に至つて政府と原告との間に交換された覚書は、この調整の申合であり、覚書に相殺を建前とするというのも、この計算の差引を意味するものに外ならない。
四、被告らは、工廠の設立又は廃止による原材料等の所有権の移動に伴う損失補償についての原告の主張に対し、種々反論を試みるが、つぎのとおり、すべて誤つている。
(1)(三一)(1)について。先ず、被告の指摘する二回にわたる請求は、四億円と二億五千万円の各内金払の請求である。ただ、返還された資材等の評価額が当時未定であつたから、請求総額として当初の契約全額を併記したことは合理的で、なんらの矛盾も存しない。さらに、工廠設置当時に比し終戦時の資材が増加していたという被告らの主張のとおりとすれば、わが国は、戦に破れるはずがなかつたのである。飛行機製造の第一資材は、アルミニユムであるが、その原材たるボーキサイドは、昭和十九年以来輸入が絶えており、第二資材としての鋼鉄の原料である鉄鉱石や粘結炭も輸入殆んど中絶の状況であつた。従つて、資材の面からいうと、軍需工場は、ジリ貧の一途をたどつていたのであつて、これが敗戦の主要原因となつたのである。第一軍需工廠についても、真の意味の資材(すなわち、乙第十号証に列記されている一般材料・特定材料部品等)は、終戦時には、工廠開設当時に比し激減し、ただ仕掛品だけが帳簿上水ぶくれしていたにすぎない。そしてこの水ぶくれの原因は、臨軍費中の兵器費として疎開分散その他の経費として支出された莫大な金額が仕掛品に転嫁され、その帳簿上の金額が増加した結果に外ならない。従つて、資材そのものが増し、航空機の生産高が殖えていたのではないから、政府が原告からさきの契約代金の請求を受けるいわれがなかつた、と被告らが争うのは、空論たるを免れない。
(2)(三一)(2)について。しかし、簿価即実価として取引のできるのは、周囲の客観情勢に変化のないことを前提としている。会社が工廠に、工廠が再び会社になつても、飛行機の生産が同じ状態で継続される限り、簿価により売り渡し、又は返還するということも首肯することができる。現に工廠発足当時においては、当事者は、そのことを期待したのであつた。ところが、敗戦により飛行機の生産が不可能となつた場合には、部品・半製品の価値が激落することは、自明の理であるから、簿価による売買とか返還とかいうことは、無意味になつたのである。いわんや、前述のように濫費した軍事費を転嫁された仕掛品の簿価の如きは、一顧の価値もないことが明白である。そして昭和二十一年一月八日に至り交換された前掲覚書によると、原則として消費された資材等の価額が補償されたのである。ただ、みぎのような事情もあつた関係で、一般軍需会社との権衡上、部品や仕掛品について実価を基として補償額を計算したことは当然である。この点につき被告らは、原告の返還を受けた資材の全部について賠償が行われたかのように述べているが、それは誤認である。一般材料・補助材料等が簿価のままなんらの減価措置を講ぜられず評価されていることによつても明白である。要するに原告は、一般軍需会社が契約解除に伴い賠償を受けたのと同範囲において、しかも同率で、部分品・仕掛品について実質上補償を受けたにすぎないのである。
(3)(三一)(3)について。原告は、商工省整理部から被告ら主張のような提案を受けたことはないし、元来工廠の設置は、厳たる事実であるにかかわらず、これをなかつたものとしようということは、いかに当事者が申し合せたとしても、実際不可能のことであり、法律関係が却つて難しくなるばかりであるから、かりに原告関係者がこれを拒否したとするも、不思議ではない。殊に、工廠運営期間中に原材料等は、著しく減少しているので、原告としてこれに応ずるはずはない。また原告は、商工省整理部に対し残存資材中欲するもののみを原告に払い下げて貰いたいなどと申し出たことはない。すなわち、返還された物件の価額について所見を異にしたことはあるが、品目について意見を異にしたことはないのである。
(4)(三一)(4)に被告らの主張するところは、事実に反する。昭和二十年四月一日の工廠移管当時において原告の所有した資材等は、東日本の各地何千箇所に分散疎開されたものが多い。それで工廠になつてから資材を使用する場合には、みぎ遠隔の地にあるものを使用するよりも、先ずもつて手近にある新規購入品を使用するというのが事実であり、合理的である。また、直ちに使用するため工場の倉庫に保持している物を使用する場合にも、倉庫の奥に古くから存する物を使用したと見るより、入口にある新規購入品を先ず使用したと見る方が常識的であるばかりでなく、工場管理の実際に合致する。従つて、終戦当時に残存した資材の大部分は、当初原告の保有していたものであり、また若干他から購入したものがあつたとしても、代替物であるから、同一性を保持すると見るのが相当である。少くとも関係者は、工廠返還の場合は、工場管理の実際上新旧資材の区別の不可能な点からも、代替物として一括して取り扱う趣旨であつたことは明白である。従つて被告のこの点に関する所論も、原告の主張を動かすに足りない。
五、上述した原告の積極的の主張及び被告らの弁駁に対する反論によつて、原告は、終戦後に原材料等の所有権を取得した時期及び原因、並びに、損失補償の整理方式としての措置を明かにし、且つ、被告らのこれに対する弁駁に応えたから、被告ら主張の終戦後における売買契約の成立する余地のないことは、自明のことと信ずるが、さらに直接に、被告ら主張の契約、並びに、対立する債権の相殺のあり得ないことを説明する。
(1) 先ず被告らは、昭和二十年八月十七、八日頃みぎ払下資材を原告に売り渡したものであるという(一八)(二六)。しかしながら、終戦の昭和二十年八月十五日頃から同月十七日頃までの間に売買の申込をした者もなければ、これを受けた者もいない。契約の内容を交渉したこともなく、勿論それが成立した事実もない。同月十五日から同月十七日に至る三日間は、政府も原告も混乱を極めていたことは、容易に想像され、本件のような大規模にして内容複雑な取引がこの期間に交渉され、その成立を見たというようなことは常識的にも考えられない。本件資材等の所有権還付の根拠となつた前示軍需大臣及び第一軍需工廠長官の各通牒には、売買契約の片鱗さえも現われていない。従つて、終戦直後に原告と政府との間に、資材等に関する明示的な売買契約が行われたことを認めることはできない。のみならず、同年同月十八日に資材等の引渡とともに、売買の暗黙の合意が成立したのではないかとの考も、法律上これを容れる余地がないものといわなければならない。思うに、所有権の移転と代金の支払とは、売買契約の二大要素であるから、これについて内容が確定し、合意が成立するのでなければ、契約として成立する何物もないのである。第一に、目的物の確定という点についていえば、当時全国何千ケ所に分散疎開した第一工廠所属の莫大な資材の内容は、二日や三日で到底確定できるものでないし、抽象的に何月何日全工廠に存在する一切の資材というような特殊の合意のあつた事実も認められないから、目的物に関する合意のなかつたことは明瞭である。つぎに代金額に関する合意は全然ない。一般に代金額は、契約成立のときに確定していることを要しないが、確定し得べき基礎に関する合意がなければ、契約としては成立しない。殊に、物の性質上当事者間に協定が成立しなければ、代金の定めようがないという場合には、たとえ後日協定しようとの約款があつても、そのときには未だ売買は成立していないのである。そうでなければ、代金について合意は、不要ということになる。しかも、本件資材等の所有権の移転は、昨日まで何百万円の価値があつた飛行機の部品が、今日は一片のスクラツプと化するという過渡期に行われたのであるから、有効な売買契約の成立するためには、当事者間に価額の協定を必要とする典型的な場合である。現に、本件資材の評価については、昭和二十一年一月八日附の覚書において、原則的の協定はできたが、これを実際に適用して算出するについて、商工省を原告との間に何回となく困難な折衝がかさねられ、漸く同年五月三日に至つて妥協案が成立したのである。このように、代価算定の基準が定まるのに五ケ月、基準が定まつてから具体的算定に四ケ月を要した経緯に徴しても、終戦の混乱時の三日間に代金額に関する合意が成立するはずのないことを知ることができるのである。
(2) つぎに被告らは、予備的に、資材等に関する所有権は、昭和二十一年一月八日の覚書に基いて移転されたものであり、原告は、みぎ覚書により代金債務を負担した旨主張する(二八)。しかし、原告の見るところでは、みぎ覚書は、所有権移転の創設的効力ある売買契約に関する書面ではなく、(イ)昭和二十年八月十七日に原材料等の所有権が原告に移転されたことを確認し、(ロ)その経理的整理方法を具体的に協定した趣旨の文書である。
(い)みぎ覚書中に、「軍需大臣ヨリ第一軍需工廠長官宛通牒ニ基キ(中略)払下」とあるのは、みぎ(イ)の事実を示すものである。このことは、みぎ覚書と同時に発行され、従つて、その間になんらの矛盾も存しないと認められる同日附証明書(甲第十八号証)中に、「半製品資材等ハ終戦ト共ニ政府ヨリ富士産業株式会社ニ譲渡セルモ」云々とあつて、政府が自ら昭和二十年八月中に所有権の移転が行われたことを証明している事実を照合して明瞭であつて、該覚書作成のときに始めて資材等の所有権が移転したものとは、到底考えられないことである。(ろ)つぎに、覚書中の「払下」の文字と証明書中の「譲渡」のそれは、同じく単に所有権移転を意味したものとみるべきである。これらの語は、ときとして売買を意味することもあるが、その本来の意味は、権利移転の意味に過ぎないので、現に前示軍需大臣通牒中に「無償払下ゲ」といい、また覚書中に「払下ハ有償トシ」とあるによつても明かである。被告らは、前示証明書中に、資材について譲渡の語を使用し、固定資産の返還と区別しているところから、この譲渡が売買を意味するもののように主張している(二九)。しかし、この区別は、前者には所有権の移転があり、後者にはそのことがないところに出たに過ぎない。また、覚書が被告らのいうような売買としての払下の効果意思を含むものとすれば、覚書中に、「右払下物件ノ保有ニ伴ヒ生ズベキ損害ハ」云々の文言は、理解しにくいものとなる。蓋し、昭和二十一年一月八日作成の覚書によつて始めて資材を売却したものとすれば、それは、終戦後に行われた取引であるから、政府は、契約の解除による製作停止を理由として、原告に対し損害を賠償する根拠がなくなるのである。保有という語は、ある期間継続して所有する意味であり、その点からみても、終戦以来資材が原告に属しており、これに対し、前述(一三)(2)のように、他の民間会社と同様の賠償を与えようとした意味に解さなければ、この文言を合理的に理解することができないのである。これを要するに、覚書中の「払下」の文字は、資材等の所有権移転の法律原因を表現したものではなく、従つて、覚書の作成によつて、始めて資材の所有権が移転したものとは考えられないのである。
却つて、(い)は覚書においては、「払下」の文字自体よりも、前示(ロ)の趣旨を表現する「但シ払下ハ有償トシ」の文言に、重要性がある。被告らも(一八)に述べるように、当時の関係者間には、資材等を原告に返還したことを無償譲渡と解した人が少くなかつた。というのは、材料等は、工場返還の一部として原告に復帰したのであり、しかも官設民営施設機械類が無償で払い下げられたのであるから、元来原告のものであつた資材等が当然に無償で譲渡されたものと考えられたことは、無理からぬところであつた。しかし一方において、昭和二十年四月一日附の売買契約は、まだそのまま存続している関係で、もし残存資材の無償払下を受けたということにすると、原告に不当の利益を与えることになる。そこで、この点を調整し、当初の売買価額から返還資材の分を差し引くという意味を明瞭にするために、覚書を作成したのである。従つて有償払下というのも、単に整理方法の便宜にすぎないのであつて、もとより新たな売買を意味するものではない。
覚書の趣旨を以上のように解すべきことは、これが交換されるに至つた以下のような事情によつて明確にされよう。すなわち、昭和二十年九月二日の降伏文書調印に際し、日本側代表は、指令第一号を交付され、商工省整理部は、みぎ指令第一号に基き昭和二十年九月三日各新聞にその広告をなし、民間会社保有の兵器弾薬等一切の戦争用資材につき、数量・形式及び所在地等の報告をなすべきことを命じた。そこで原告は、本件資材を含むその所属財産の報告書を提出したところ、これが会社財産であることが日本政府及び占領軍当局に認められ、軍需品処分命令に基きこれを提出することなく済んだ。ところが唯一の例外として、福島工場においては、同年十二月二十七日に福島軍政部によつて、同工場が軍需省所属の工場であつたので、日本政府の財産として接収する旨を申し渡された。よつて工場当局者は、同工場の資材が終戦とともに返還され、現に原告の所有であることを主張したところ、その旨の日本政府の証明書の提出方を指示された。そこで原告は、商工省整理部に証明書の交付を願い出たところ、整理部では、その交換条件として、従来政府と原告との間で懸案となつていた問題の解決を申し出た。その趣旨は、終戦とともに、資材等が無償で原告に還付された、と解している向もあるが、そうすれば、当初の資材の売買契約書による政府の債務がそのまま有効に存続している事実と対照して、原告が不当利得することになるから、残存した返還資材の評価額を算出して、当初の契約書の金額を訂正したい、というにあつた。もちろん原告としても、不当利得となるような無償譲渡を期待していたわけではなく、返還を受けた資材の価格相当額は、当初の契約書の金額から差き引かなければならぬものと考えていたので、この申出を承諾して、昭和二十一年一月八日に前掲覚書を交換するとともに、資材等が昭和二十年八月十七日に原告に譲渡済である旨の証明書(甲第十八号証)の交付を受けた。原告は、みぎの証明書を福島軍政部に提出して、間もなく接収の解除を得たのであつた。このような経緯に徴しても、該覚書が資材等の所有権移転に関する真の売買契約書として作成されたものでなく、また原告がそれによつて政府に対し反対債務を負担するに至つたものでないことを知ることができるのである。
(3) 以上のように、問題の四億二千二十三万余円の材料・仕掛品は、原告が政府から売渡しを受けたものでなく、原告は、これによつて政府に対し代金債務を負担したのではない。もし、これら資材の払下が真の売買契約を意味するとすれば、一括払下ということは考えられない。原告は、欲するものだけを買うはずである。殊に、その評価がどうなるかわからない。それは、これから政府と会社との間で協議して決めるというのであるから、その決定前に全部のものを一括して買うということは、真の売買でないことを示すものに外ならない。
(4) 前掲覚書第四項に「相殺」を建前とする旨記載されているが、この相殺は、民法にいう相殺ではなく、単に差引計算の意味に解すべきである。原告が昭和二十一年五月中、さきに返還を受けた原材料・仕掛品等の価額金四億二千二十三万八千五百三十円十二銭を当初国有移管に際し政府に対して取得した債権額の残額から控除して請求したのも、みぎ覚書の記載に由来するものであつて、該請求書は、これを明にして控除額と記載してある。またもし、これが民法上の相殺を意味するものとすれば、政府会計官吏は、支出官事務規程に基き、歳入歳出二通の小切手を発行し、会計法上の整理をなすべきであるが、本件においては、このような手続もとられていない。これによつても、民法上の相殺が行われたものでないことを知ることができるのである。
第四課税処分の違法
原告が、その事業の移管に伴い、資材等を政府に移転することによつて、被告国に対して取得した損失補償請求権については、終戦後に資材等が払下形式により原告に返還されたとき、その数額の計算の調整が行われたけれども、その間に戦時補償特別措置法(以下、単に戦補法という。)第二条後段の規定にいう決済の行われる基礎は、事実上存在し得なかつたのである。従つて、被告東京国税局長のした審査決定は、税務署長のみぎの点についての誤解による不当課税を維持したことにおいて、違法であつて、このことは、既に上来述べたところから明かである。
さらに、被告東京国税局長が、原告の審査請求に際し、税務署長のした原更正決定額金十三億二千三百六十八万三千百四十六円九十九銭を金十五億千百七十二万九千八十七円に増額したことはその内容のいかんをさておいて、つぎの諸点において、手続的に違法である。
(1) 戦補法第三十条ないし第三十二条の規定による審査請求は、納税者救済の制度である。税法の認めた権利として、審査を請求する者は、税務署長の決定が過重であるとして、その軽減を求めるのである。課税処分は覊束処分であり、法規の厳正な適用による、といつても、もともと認定又は裁量の余地の多い行政処分であることに変りなく、その点において、司法とは自ら異なるものがある。審査によつて法適用の適正さえ保障されるならば、かりに税金が増しても、なお且つ、救済であろうというのは(三二(2))、行政処分又は審査制度の本質、国民の常識を無視する官僚独善の暴論である。
審査制度は、所得税法その他各種の税法に共通するが、その目的は、専ら原処分が正しいか、或は審査請求の理由があるかどうかを判定することを使命とする。それが救済手段である限り、審査の過程において、原処分の課税価格を増額することによつて、請求者の不利益に原決定を変更することは、禁止されることが理の当然である。
(2) 国民は、法律の定めるところによらなければ、納税の義務を負わないことは、新旧憲法の等しく保障するところである。課税は、もとよりその内容において適法であることを要するばかりでなく、その手続においてまた、法律に違反すべきでないことは、論をまたない。
申告納税の外に、戦時補償特別税を課するには、戦補法第二十七条ないし第二十九条の規定による手続をふまなければならない。しかるに、審査決定において増額した部分の課税は、みぎ第二十七条及び第二十八条の規定を無視し、この手続を省略して行われる違法をあえてすることとなる。
(3) およそ、行政行為は、その認められた権限に基く場合だけが適法である。戦補法及び同施行規則中には、昭和二二年政令第二二一号所得税法施行規則旧第六十五条の規定するような例外規定はないし、戦補法施行規則(昭和二一年勅令第四九七号)第八十四条の規定によれば、課税価格の更正及び決定は、税務署長の専権に属するのであるから、国税局長が審査決定の名にかくれて、実質上の更正決定をすることは、明かに違法である。戦補法第三十一条の規定が同法第二十七条及び第二十八条の規定に代る課税の権限を国税局長に認めたものでないことは、(イ)同法第三十一条の規定が、納税者の救済段階である。第五章「審査、訴願及び行政訴訟」の章のうちに置かれていること、(ロ)同法第三十一条の規定中「これを」とあるは、直前の文言である「前条第一項の請求」を承けて、「請求の理由ありや否やを」の意義であると解すべきこと、(ハ)みぎ同条の規定中「決定する」とあるは、賦課課税主義をとつていない今日においては、課税価格又は所得金額を決定(この意義における決定の語は、申告義務を果さなかつた場合にだけ用いられている。所得税法第四十四条第二項、戦補法第二十七条第二項参照。)する意義(若し、そうならば、所得税法第四十四条第一項、第三項、戦補法第二十七条第一項・第三項にいう「更正する」の語が用いられるべきである。)に解すべきでないこと並びに、(ニ)前述の審査制度の本質論から疑のないところである。
(4) 戦補法第三十条の規定は、課税価格の更正又は決定に対しては、例外なく審査請求することを許す趣旨であるにかかわらず、審査決定により増額された部分については、同法第二十七条及び第二十八条の規定する手続が省略されており(この手続がないと、審査請求をすることができないことは、同法第三十条の規定のうえから疑問の余地がない。)他面において、審査決定に対しては審査請求をすることができないのであるから、結局増額の処分については、審査を請求する途がないこととなる。このように、法律の認めた救済手段を剥奪する結果を来す被告国税局長の措置は、明かに違法である。
(5) 戦補法第二十七条第三項の規定によれば、課税価格を更正又は決定した後において、課税価格について脱漏あることを発見したときは、政府の調査により、その課税価格を更正することができる。すなわち、課税は、一事不再理ではなく、何回でも更正決定をすることが許されるのであるから、審査の過程において、税務署長のした更正決定が金額において不足であることが判つた場合には、税務署長にその旨を伝えて、新しい更正決定をさせることが合法的である。その場合に、不足額を審査決定中で増額するという違法を敢てする必要も実益もないのである。換言すれば、審査決定における課税価格の増額を禁ずることとしても、徴税上なんらの不合理も不便も存しない。
(6) 新所得税法第四十九条及び法人税法第三十五条の規定によれば、審査決定においては、請求を却下するか、又は原処分の全部若しくは一部を取消すかの二途を出ないのであつて、課税価格を増額することのできないことが明かにされた。この点の税法改正は、規定の体裁をととのえただけであつて、審査請求制度の本質を変えたものではない。所得税法施行規則旧第六十五条の規定は、特定の場合に国税局長の更正決定権を認めたものであつたが、それも廃止された。かくして審査制度は、原決定の範囲内においてする処分の当否の判断を使命とすることは、前述所得税法第四十九条等の規定とならんで、戦補法等特別税法の規定が依然現行法として厳存している一事をもつても明かである。
(7) 審査決定において、課税価格を増額することができるという解釈を許すならば、納税者は、このような危険をおそれて審査請求を思いとまる場合の多いであろうことは、容易に想像することができる。また、税務官吏がそのような示唆を与えて、審査請求を断念させるような行政上の弊害もないと断言できないのである。かくては、民権擁護のため法律の認めた審査という救済制度は、羊頭狗肉となるのであつて、このような解釈は、許されることではない。
(8) 被告東京国税局長は、審査決定において増額決定をなし得ることは、行政裁判所において確立された理論であるとして、その判例を引用している。そうして、その引用にかかる判例はいずれも第三種所得税に関するものであるが、当時の所得税法は、所得決定につき政府決定主義(賦課課税制度)をとり、従つて申告納税制度下にのみ容れられる更正決定の制度は存在しなかつた。ところが本件においては、更正決定手続の効力が問題の中心となつているのであつて従つて更正決定の制度のなかつたときの判例を援用することは失当である。また行政裁判所は、一審制度であるばかりでなく、国家権力絶体時代の特別裁判所であるから、国家の過大な権力の抑制と民権の尊重とを建前とする新憲法下において、憲法改正前の三十何年も前の行政裁判所の判例をもつて範とすることは不当である。のみならず、それら判例自体が審査制度の本質と相容れない、つぎのような違法不当を犯している。すなわち、みぎの判例は、審査決定が税務署長の決定処分とは関係のない新しい課税処分であつて、救済手段でないことを前提としている。しかしながら、審査制度が救済手段であることは、所得税創設当時から一貫した本質である。従つてみぎ判例は、行政訴訟において、審査制度の本質が救済手段であるかどうかの点に論及し、これを明かにすることなく、独断的にこれを否認して、税務署長の決定とは無関係の独立の課税処分であると断じた点に、根本的に重大な過誤を犯しているものと断ぜざるを得ないのである。(請求の原因、終り)
III 答弁の事由
第一原告の主張に対する認否と被告らの主張の概要
一、原告の主張事実のうち、
(1) 原告がもと中島飛行機株式会社と称し、航空機の製作等を目的としていたこと、並びに、昭和二十年八月十七日に名称を現在の商号に変更したこと、
(2) 被告国が戦争遂行の目的で昭和二十年四月一日に第一軍需工廠を設置し、原告の全工場施設をもつて航空機の生産に当つたこと、
(3) 被告国が同日原告に対し、後出二のとおり、使用令及び供用令を発したこと、
(4) そうして、従前原告の所有していた原材料・仕掛品等の所有権は、同日政府に移転されたこと、
(5) 同年八月十五日に終戦を迎え、当時工廠の保有した原材料・仕掛品等の所有権が軍需大臣通牒に基く同年同月十八日附の第一軍需工廠長官の原告あて通牒により原告に移転し、且つ、当時その引渡しが行われたこと、
(6) 麹町税務署長が原告主張の日に、その主張のような更正をし、且つ原告に対しこれによる納税告知書の送達を行つたこと、
(7) 原告が昭和二十三年九月一日に提出した審査請求に対し、被告国税局長が原告主張の日に、その主張のような審査決定とその通知を行つたこと、
は、いずれもこれを認めるが、その余の点を争う。
二、本件戦時補償特別税の課税の基礎となつた戦時補償請求権は、原告の政府に対する原材料・仕掛品等の売買代金請求権であつて、この債権の成立するに至つた事実関係は、つぎのとおりである。
政府は、第一軍需工廠を設置し、その事業を運営するについて、原告の工場施設資材等の全部を利用したのであるが、具体的な方法として、昭和二十年四月一日に、
(1) 原告の工場事業場に属する土地建物その他の工作物及び機械等の施設は、国家総動員法に基く工場事業場使用収用令による使用令を発して使用し、
(2) 原告会社の従業員は、同令による供用令を発して、引き続き同工廠に従業させ、
(3) 原告が同年三月三十一日現在保有した船舶・運搬具・工具・器具・材料及び仕掛品(以下買収資材等という。)は、その代金額を当時の帳簿価格によることとし、代金請求書受理後十五日以内にすでに支払つた前払金の返納額と相殺して支払うことと定めて買収し、即日その引渡を受け、
(4) 同年三月三十一日現在において、原告とその協力工場との間に存した債権債務は、政府がこれを承継すること、
とし、このようにして、第一軍需工廠の事業の運営に支障なからしめたのである。そして、その後同年七月中に、みぎ(3)に示した買収資材等の代金額は、金十三億九千二百三十四万八千二百四十七円七十六銭であることが確認された。この項の主張については、後出(二一)ないし(二五)に詳説する。
三、政府は、第一軍需工廠を運営するについて、買収資材等を利用するとともに、工廠発足後新規に大量の資材等を他から買い入れて、航空機増産に努めたが、昭和二十年八月十五日に終戦を迎えるに至り、当時同工廠の保有していた政府所有の貯蔵材料・半製品・工具・器具及び備品等(以下、払下資材等という。)を航空機生産の用にあてることができなくなつた。そこで政府は、同年同月十八日にみぎ払下資材等を原告に売り渡し、その頃原告においてこれが所有権を取得したのであるが、その代金支払についての暗黙の合意があつただけで、その細目の協議の完結は、翌年に持ち越された。しかるに、昭和二十年八月二十六日に軍需省の廃止後は、商工省が残務を引き継ぎ、その整理に当つたのであるが、その整理事務進行の過程において、払下資材等の所有権の帰属等について関係者の間に種々意見の対立を生じ、明確を欠くものがあつた。すなわち、政府においても、被告らの本訴における主張に現われるとおり、法律上において、資材の所有権の移転の時期のいかんについて、確定的の意見を欠き、他方原告は、前示通牒による資材等の所有権移転の趣旨を無償払下と誤解していた。よつて政府は、原告に対し数次にわたつてその誤解であることを注意し、代金の確定は、工廠整理の一環として将来決定されるべきものであることを指摘し来つたのである。かくして昭和二十一年一月八日に至り、政府と原告との間に覚書(乙第四号証)を交換し、該資材等が「昭和二十年八月十七日附軍需大臣ヨリ第一軍需工廠長官宛通牒ニ基キ」原告に有償で払い下げられたことを確認するとともに、原告において政府に対し該資材等の「終戦時ノ帳簿価格ニ依ル」価額を代価として支払うべき旨の代金算定方法に関する協定が成立したものである。同書中、「通牒ニ基キ」の字句は、該通牒の解釈に関する当事者間の紛糾を最後的に解決するための趣旨を表現したものである。そうして、このように協定された代金の算定方法に基いて、同年五月中に代金額は、金四億二千二十三万八千五百三十円十九銭と確定した。
四、みぎのように原告は、政府に対し、当初国営移管時における買収資材等に関する代金債務を有するとともに終戦により払い下げられた払下資材等の代金債務を負担していたところ、原告は、同年五月中政府に対し買収資材等の代金を請求するに当り、払下資材等の代金の種類及び金額を明示してその額を請求金額から控除して請求した。すなわち原告は、これにより買収代金債権をもつて払下代金債務と対当額につき相殺する旨の意思表示をなしたものであり、且つ、両債権は、昭和二十一年一月八日相殺適状に達していたので、払下代金相当額の双方の債務について、同日相殺による決済の効果が発生したのである。前項及び本項の主張については、後出(二六)ないし(三一)に詳説する。
五、従つて、原告が政府に対して有していた買収代金請求権のうち金四億二千二十三万八千五百三十円十九銭は、終戦後の決済にかかることが明白であるから、当然戦時補償特別措置法第二条の規定により同税の課税対象とならなければならない。しかるに原告は、同税の課税価格等を申告するに当り、他の金二億一千六百六十七万九千三百七円六十二銭を申告したにとどまり、前者の金額について申告をしなかつたので、麹町税務署長は、これを不当としてみぎ両者を合算した金六億三千六百九十一万七千三百七円を課税価格として更正を行い、被告東京国税局長もこれを維持したのである。また同国税局長が原告の審査請求に対して為した審査決定において、原更正決定額に比し課税価格を増額したことは手続上も正当であつて、違法事由は存しない。この項の主張については、後出(三二)に詳説する。
第二第一軍需工廠設立時における原材料・仕掛品等の買収について
一、政府は、太平洋戦争の戦局が苛烈の極に達した昭和二十年三月二日の閣議において、決戦兵器としての航空機の生産を民間企業の手に委ねておいては、増産に著しい支障があるとし、軍需工廠を設置して、その生産を官の手に確保しようとの方針を決定した。そこで、先ず原告の施設等を利用して第一軍需工廠を設置することとしたが、その利用方法として政府が採用を予定した基本的手段は、国家総動員法に由来する工場事業場使用収用令による「使用令」及び「供用令」の発動であつた。しかしながらこの方法をもつては、原告の物的固定施設と従業員とを利用すこるとはできても、消耗資材等を政府の手中に収めることは不可能である。しかも、当時の緊迫した実情のもとにおいて、原告所有の原材料・仕掛品等を工場施設と同時に入手することは是非必要であつた。また他面原告としても、施設に対して使用令が、従業員に対して供用令が各発動された後に、消耗資材等を所有していても、既に航空機製造事業から離れた原告がこれを自らの事業に利用することのできないことはもちろん、当時重要統制物資に指定されていた原材料を他に処分することも自由でなかつたから、消耗資材だけを保有することは、殆んど無益に近い。従つてこれを政府に売却することは、たとえその代価が時価を下廻るとしても、最も時宜に適したことであつた。そこで政府は、使用令及び供用令の発動という行政措置とは別箇に、原材料・仕掛品等を原告から買収する方針を立案した。
二、すなわち政府は、軍需工廠設置に当り、予め「第一軍需工廠設立ニ関スル経理関係事務処理要領」を作成し、原材料・仕掛品等が買収の対象になることを明かにしたのである。乙第九号証は、「第二軍需工廠設立ニ関スル経理関係事務処理要領」であるが、第一軍需工廠についても、これと同様のものが作成された。みぎ処理要領の内容については、乙第九号証の記載に譲るが、その附表には、前項に述べたような入手方法の相違による、借上資産と買上資産とが明瞭に区分されている。そうして政府は、この案を昭和二十年三月下旬頃に軍需省内に設置された原告会社の社長兼生産責任者中島喜代一を委員長とし、原告の首脳者及び軍需省係官を委員とする第一軍需工廠設立準備委員会に附議したところ、同委員会も異議なくみぎ買収方針を承認したのである。このような経過をたどつた後、政府は、同年四月一日に使用令と供用令を発したのであるが、原告もこれに応じて即日固定施設等とともに、問題の原材料・仕掛品等をも政府に引き渡した。従つて、このときに原告と政府との間にみぎ原材料・仕掛品等に関し、前述(一七)の条件による買収契約が締結されたものと認めるべきである。もつともそれに関する売買契約書は直ちに作成されず、同年七月に至つてから作成されるが、このことは、それまでの間契約関係が存在しなかつたことを意味しないこともちろんである。そして、みぎ原材料・仕掛品等の代金は、帳簿価額により定められることになつていたが、このことは、簿外資産を買収の対象外におくことを意味するものではない。簿外資産があれば、これを含めて買収する趣旨であつたことは、もちろんである。
三、原告は、原材料・仕掛品等がみぎ売買によつて国の手に帰したことを種々争つている。すなわち、
(1) 原告は、第一軍需工廠設立準備委員会は、単純な政府の諮問機関であるから、これに諮つたところで契約の締結を協議したことにならない、という(九(1))。しかしながら同委員会は、原告会社の社長兼生産責任者中島喜代一を委員長とし、その首脳者及び軍需省職員のみを委員として構成された委員会で、その目的は、特に第一軍需工廠を設立するについての具体的諸問題を協議することが目的であつた。単に民間人を経験者として取り扱い、その意見を行政に反映させる趣旨でこれを委員として参加させた委員会とは、その性質において全く異るものであつた。
(2) 原告は、資材等について買収の形式で経理措置を講ずるということは、「経理関係事務処理要領」の作成される以前の閣議決定において、国家総動員法による一方的行政処分として国営移管を行うという根本方針によつて決定されたもので、経理関係事務処理要領は、これを詳説したものにすぎない、という(九(2))。しかし閣議決定の内容は、原告の主張するように、一方的処分だけを定めたものではない。これによると、「使用の手続は法令の許す範囲において(中略)処理するものとす。」とされ、「使用のための経理的措置は簡易迅速を旨とし別途定む」とされている。そしてこの経理的措置とは、単に計算上の事務をいうのでなく、売買その他の契約締結をも含む趣旨である(このことは、軍需省航空兵器総局に契約課があつて、航空機等の調弁契約を主管していた事実によつても、推測できるのである。)。買収資材等の所有権の取得は、使用令をもつては法令上許されないから、別途に経理的措置として、これにつき売買契約を締結したものであり、同様の措置は、原告とその協力工場等との間の既存契約に基く債権債務の承継についても採用され、この種の債権債務は、政府において承継する旨の契約が締結されている。このような法律関係は、到底施設に対する使用令の効果であると考えられないのである。そうして、前記設立準備委員会に附議された経理関係事務処理要領には、原材料・仕掛品等の買収されるべきことが明記されていたのであつて、原告会社にこの点の誤解がある筈は断じてないのである。
(3) 原告は、巨額の財産を処分するのに重役会の議にもかけず、株主総会の決議も行われなかつたことを不合理としているが(九(3))、当時一般の軍需会社の運営の実情から見れば、本件売買について、重役会又は株主総会の議を経なかつたとしても、それ程異とするには足りない。
(4) またみぎ売買が含み利益を無視して帳簿価額によるとされている点も、真の売買でないことの証左であるという(九(4))。しかしながら、含み利益というものは、固定資産と異り、流動資産にはそれ程多くは考えられない。蓋し流動資産については、原則として時価を帳簿に記載するからである。
(5) 原告は、簿外資産が該契約上買収の目的とされていないのに、現実には、その所有権が国の手に帰したと主張して、みぎの事実は、買収によつて原材料・仕掛品等が国の手に帰したとの被告の主張を覆えすものだという(九(5))。しかしながら、生産第一主義を強行して、帳簿整理が等閑に附されていたと考えられる当時の情勢下においては、簿外資産の現存と同時に、簿内資産の不存在ということも考えられなければならない。
(6) 原告は、原材料・仕掛品等の所有権譲渡について、原告には諾否の自由がなかつたから、自由意思に基く売買契約が成立し得る余地がなかつたという(九(6))。しかしながら政府としては、もしかりに原告においてみぎ買収案を拒否したとすれば、或いは国家総動員法第十条の規定による物資の収用、若しくは同法第十六条ノ三の規定による事業の譲渡命令等の強制力を用い、或いは新たな法的手段を講ずることもできたのである。何れにせよ資材等は、政府に接収される運命にあつたが、当事者は、強制力発動による双方の不利(例えば、物資の収用によるときは、総動員補償委員会の議決により補償額を決定せざるを得ないことになり、その支払を急速に行うことができなくなる。)を避けてむしろ簡明卒直にして時宜に適した私法契約を選んだのである(固定資産の使用料についても、同様の目的で同様の措置が行われた)。この点に関し原告は、原材料・仕掛品等が結局政府に接収される運命にあつたことを強調して本件買収契約の自由契約性を否認しようとしているが(九(9))、原告の所論は、客観情勢を無視した観念的自由論で、その謬論たることは多言を用いずして明白であろう。当時両者の認識が、原材料・仕掛品等について私法的売買を確信していたことは、その後これに関する契約書の作成が何の支障もなく行われたこと、並びに終戦後政府において工廠設置無視による整理方法を提案したとき、原告がこれに反対し、却つて政府側の契約上の債務履行を強く主張した事情(後出(三一(3))参照)によつても明白である。
四、上述のように、原告所有の原材料・仕掛品等の所有権が国の手に帰したのは、昭和二十年四月一日附の売買契約によるのであつて、従つて政府は、原告に対しみぎ売買契約に基く代金債務を負担したのである。しかるに原告は、その移転原因を使用令の効果によるものと主張し(五)乃至(七)、後日作成された契約書は、みぎ強権措置に基く原告の損害を補償する要償額の協定に外ならないという(八)。しかしながら、かかる主張の誤りであることは、前述の諸事実、並びに、以下述べるところによつて明白であろう。
(1) 原告は、使用令の効果を誤解している。
(イ) 工場事業場使用収用令は、国家総動員法第十三条第一項の規定をその根拠法としている。同条同項は、命令の対象を「総動員業務タル事業ニ属スル工場、事業場、船舶其ノ他ノ施設又ハ之ニ転用スルコトヲ得ル施設ノ全部又ハ一部ヲ」と規定し、使用の効果が固定施設にのみ及び、流動資産に及ばないことを明言し、同令もこれを受けて、その第六条に「工場事業場ニ属スル土地、建物其ノ他ノ工作物、機械、器具其ノ他工場事業場ノ用ニ供スル物ノ全部又ハ一部」と規定し、その使用の対象が工場事業場の必要的施設に限定され、事業経営の用には供されるにしても、工場事業場そのものの用に供する必要的施設と認められない消耗的資材に及ばないことを明かにしている。従つて同令施行規則第五条は、使用物件受領調書の様式等を定めるにつき、土地調書・建物調書及び設備調書の三様式を定めているにすぎず、消耗資材等については、調書の作成を全く予想していない。またこれらの法文中の「施設」又は「設備」の文言中に、消耗的資材等を含まないことは、法律用語例上明白である。
(ロ) 国家総動員法第十六条の三は、事業を一体として取り扱う場合を規定しているが、この場合は、「事業」と規定し、解釈の紛糾を避けている。ところが同法第十三条第一項の規定は、前述のとおり、対象を個別的に掲記しているから、同条の規定に関して事業を一体的に観念することは、許されないのである。
(ハ) 同令による使用命令発動の効果は、使用権の設定である。「使用」は、目的物の所有権の移転を受けることなく、用法に従つて利用した後に、その物自体を返還することを本質とする。しかるに、本件買収資材等は、消耗品であり、その用法に従つて利用すれば、たちどころに消耗し、その後その物自体を返還することは不可能である。このようなものが使用令の対象となることは、条理上考えられない。
(2) 原告の事業を一体として工廠に移管させることにより第一軍需工廠を設立すべく企画されたことは、まことに原告の主張するとおりである。しかしこれは、単なる経済的な目的で、この目的を達するため、如何なる法律的手段が講じられたかが問題である。そして政府が本件について採用した法的手段の基本は、使用令と供用令の発動であり、これにより賄い得ない部分について売買とか債権債務の承継という私的契約が採用されたのである。そしてこれら一連の法的手段が結合して原告の事業を事実上第一軍需工廠へ移管させるという右の経済的目的を達したのであつて、これら一連の法的手段のそれぞれの存在を否定して、移管という単一の法律行為が行われたと観念することは許されない。
(3) 原告は、国営移管は臨時的一時的で戦争の終結等により国営を必要としなくなつたときは、当然にその経営が原告に復し、原材料・仕掛品等もそのまま原告に返還されることが予期されていたので、使用の方法をとり、恒久的収用の方法を避けたと主張する(七)。しかしながら第一軍需工廠設置当時の苛烈な戦局と軍の強硬な戦争遂行の下において、何人も終戦の早期到来とか、工廠廃止による資材の返還などを予想していなかつた。政府も原告も、固定施設の返還を念頭においたが、消耗資材の返還等を念頭においていなかつた。原告の主張は、全く当時の客観情勢を無視したものといわなければならない。なお、原告の所論は、第一軍需工廠の発足後、政府において新に資材等を他から入手することなく、原告から引き継いだ資材だけで生産を行うという関係であつたかのような考え方に立つようであるが、この点については、後に払下契約の成立を否定することに対する反論として後述するところに譲る(三一(4))。
(4) 原材料・仕掛品等が国の手中に帰したのは適法な買収契約によるものであつて、政府の違法行為により一方的に収用されたものではない。仮りに、当時の政府部内に使用令発動の効果が資材に及ぶと誤解していた者があつたとしても、このことは、買収契約の成立に何らの影響をも及ぼさない。蓋し、当時第一軍需工廠設立に伴う法的措置について責任の衝に当つていた軍需省航空兵器総局第四局(経理局)は、該資材等の消耗的性質に着眼して、その取得については、使用令をもつて賄い得ないと考え、この認識の下に本件買収契約を結んだものだからである。
五、原告は、買収契約について(これとともに、後の払下契約についても)、独立の契約の行われたことを否定し、単に損失補償の形式であるに過ぎないと主張する(八)。しかし、政府はもちろん、少くとも当時においては、原告もまた、これをもつて単なる損失補償の形式とは考えていなかつたと信ぜられる。そのことは、原告が終戦後に買収資材等代金の全額を請求していることからこれを指摘できるが、払下契約の成立を否定する立論に対する反論とあわせて、後に説くところに譲る(三一(1))。
第三工廠所有の原材料・仕掛品等の有償払下について。
一、政府は、終戦時匆々の間に当時工廠の保有した原材料・仕掛品等を原告に有償で払い下げ、原告は、前示通牒によりその引渡しを受けたこと、並びに、その代金額は、翌年に至つて決定されたことは(一八)に前述したとおりである。
みぎのように、大量の政府所有原材料等が代金額の確定をもみないで、また一片の契約書さえ作成されずに、簡単に原告に譲渡されたことは、それら原材料等の由来、性質及び終戦直後の社会的混乱等を思い合せると、必ずしも奇異のことではない。すなわち政府は、前述(二一)のとおり、昭和二十年四月一日に当時の緊迫した情勢下において、やむを得ない措置として、原告の事業を国営化することとし、その固定施設及び従業員に対して、それぞれ「使用令」及び「供用令」を発動した外、原材料・仕掛品等を買収し、その協力会社との契約関係を承継して第二軍需工廠を設立した。しかしながらその措置は専ら航空機増産の目的に出たもので、原告の資産の没収を目的としたわけでないから、他日軍需工廠設立の目的が解消し、使用令の対象である施設を原告に返還する場合には、特別の事情のない限り、工廠保有資材等を優先的に原告に払い下げ、もつて原告の事業経営に支障のないようにしたいということは、その局に関与したものの当然に考えていたところであつた。また原告においてもこれを期待し、その日の到来が一日も早からんことを秘かに願つていたことは当然である。このような事情のもとに終戦を迎えて、工廠設置の目的が解消し、且つ、軍需品生産用に向けられていた諸資材を早急に民需に振り向ける緊急の必要があり、もし機を失するにおいては、如何なる支障のおこるやもはかり知れない事態にあつたので、政府は、原材料等を払い下げる相手方として原告以外のものを物色することなく、且つ、対価等についても原告と折衝を重ねる暇もなく、極めて自然且つ容易にこれを原告に払い下げたのであり、何人もこれを怪しまなかつたのである。
二、みぎの事実は、昭和二十年八月十七日附軍需大臣通牒及び同年同月十八日附第一軍需工廠長官通牒において、払下資材を民需に振り向けるように指示されていること、これに基き第一軍需工廠長官から原告会社に該物件の引渡しが行われていること、その後原告が該資材等を公然消費していたこと、その後原告から政府に対しみぎ払下を無償とされたい旨の陳情が行われていること、並びに、昭和二十一年一月八日に交換された覚書が前述(一八)のような趣旨で作成されていること等に徴して容易に推測できるところであり、また一般に終戦直後に、政府がその保有物資をみぎのような趣旨で広く放出したことは、周知のところである。
三、かりに、何らかの事情により原材料・仕掛品等の所有権が前述通牒により移転せず、またその当時有償払下としての売買契約が成立しなかつたとすれば、政府は、昭和二十一年一月八日に前述覚書交換の時に売買をし、同日原告は、該物件の所有権を取得すると同時に、政府に対しその代金債務を負担するに至つたものである。
四、しかるに原告は、資材の売買による所有権の移転を争つている。しかし、商工省整理部長が昭和二十一年八月に前述覚書を交換したと同時に原告に交付した同日附前述証明書においても、原材料・仕掛品等の処理は、これを「譲渡」として、固定資産の「返還」と明瞭に区別している。これによつても、原材料・仕掛品等は原告において返還を受けてその所有権を取得したものではなく、新たな売買によつて所有権を取得したものであることに疑いがない。
五、(一四)(4)について。政府の会計手続上の処理として、民法上の相殺が行われる場合には、相殺額を歳入に納付すべきことは、会計法上まさに原告主張のとおりである。しかし実務上往々にして、相殺額の歳入納付を行うことなく、定額戻入の手続をとつて歳出予算に繰り入れ、このようにして予算の効率的運用を図ることがある。殊に、臨時軍事費特別会計においては、特にこれが一般的に行われたのであつて、このことについて従来から会計検査院は非難していない。いずれにせよ、それは、政府の会計手続が適正に行われたか否かの問題にすぎず、相殺という行為の本質に関する問題ではないのである。
六、上述したところによつて明白なように、政府は、昭和二十年四月一日に原告からその所有にかかる原材料・仕掛品等を買収して代金債務を負担し、同年八月十八日又は昭和二十一年一月八日に戦争中工廠の保有していた原材料・仕掛品等を原告に有償で払い下げて、その代金債権を取得したのである。しかるに、原告は、以上両者の関係について、それぞれ独立の契約が行われ、従つてまた、原告及び政府がそれぞれ相対立する債権債務を負担した事実を否認し(二・一〇・一一)、昭和二十一年一月八日附の覚書は、当初の国営移管に伴い、原告が原材料等につきこおむつた損害の補償額を修正する便宜上作成されたものにすぎないという(一二)(一四(2))。しかしながら当時においては、政府はもちろん原告自身も、これをもつて損失補償の形式とは考えていなかつたのである。すなわち、
(1) 原告は、終戦直後の昭和二十年八月下旬頃に当初移管に伴う原材料・仕掛品等の買収代金十三億九千二百三十四万八千二百四十七円七十六銭及びその他の政府債務二億六千二百七十五万三千六百十三円四十三銭の合計金十六億五千五百十万千八百六十一円十九銭の支払を政府に請求し、その内金四億円の支払を受け、さらに同年十月上旬にみぎ残額金十二億五千五百十万千八百六十一円十九銭の請求をしてその内金二億五千万円の支払を受けている。このことは、原告が、原材料等についての工廠設立当時の買収契約、並びに、終戦後の有償払下契約の各独立の存在を承認していたことを前提として、始めて理解できるところである。蓋し、みぎ請求の当時原告は、既に原材料等の返還を受けていたのであるから、この場合になお当初買収代金全額の請求をすることは、国営移管に際し原告が政府に売却した原材料等と、終戦後において払い下げられた原材料等との差額が損失として補償されるべきであるとする原告の見解と矛盾するからである。そうして二回に亘るみぎ代金の請求は、代金全額についての請求である。ただ当時、政府において予算処理上の余裕がなかつたため、とりあえず内金払をすることとして、会計技術上原告をして二回に亘り計金六億五千万円の内金払の請求書を提出させたものに外ならない。仮りにこれが原告のいうように内金払の請求であるとしても、「当時返還資材の評価額が未定であつたから、請求総額として、当初の契約金額の全額を併記したにすぎず、この間に矛盾がない。」(一三(1))ということはできない。蓋し終戦当時の残存資材等は、簿価にして約十九億円にのぼり、工廠設置当時よりも却つて増加していたのであつて(少くともこのことの概略は、終戦当時判明していた。)、簿価売買の方針に従うと、政府の方が受取勘定になつており、政府として、原告から請求を受けるいわれがなかつたからである。
(2) のみならず、この簿価金十九億円にのぼる資材が僅か金四億円余で払い下げられたことは、それ自体原告主張の一括返還説を否定するものである。蓋し原告が原材料・仕掛品等に関して政府に対し有する請求権を、原告主張のように、戦争中工廠において現実に消費した資材に対する補償と解する限り、終戦後問題となるべきは、消費された資材の価額のみであつて、残存資材の時価の値下りの如きは、問題にならないはずであるにかかわらず、実際はこの値下り分を政府の負担とし、みぎ簿価からこれを差し引いたものをその代価として協定しているからである。原告は、一般軍需会社との権衡上このような措置がとられたというが(一三(2))、一般軍需会社に対する契約解除による損害賠償としては、解除された契約に関する値下りが補償されたにとどまり、本件のように手持資材の全部について補償が行われたものではない。
(3) 昭和二十年八月二十六日に軍需省の廃止後は、商工省が残務を引き継ぎその整理に当つたのであるが、同整理部において、昭和二十年十月頃に第一、第二両軍需工廠の整理方針を策定するに当り、工廠設置の事実を無視し、原告及び訴外川西航空機株式会社を通常の軍需会社と同一視して補償を行うのがむしろ簡明卒直にして時宜に適した措置であると考え、その旨をみぎ両者に提議したところ、却つて両者においてこれに反対し当初の政府債務の履行を強く主張するとともに、残存資材中みぎ両者の欲するものだけをそれぞれ払い下げ、その余を政府において適宜処置されたい、と強く要望するに至つたので、遂に政府のみぎ試案は、実行不可能に終つた経緯がある。このような次第で、当然のこととして一括払下が行われたのではなく、原告の撰択払下の希望と、政府の一括払下の希望が対立し、両者協議の結果、政府案に従い、一括払下と決定したのである。従つて原告が今に至つて、当初からの計画どおり、当然のこととして、資材等の一括返還が行われたもののように主張するのは、被告として極めて理解に苦しむのである。
(4) 国営工廠の発足後、政府において新たに原材料等を他から入手することなく、単に原告から引き継いだ資材のみによつて生産を行つていたという関係であつたならば、原告の主張するように、使用令の解除によつて原材料等の返還、並びに、原材料中の消耗分に対する損失補償という考え方も成り立つかもしれない。しかしそのような関係でない本件においては、当初の買収資材等は消耗しつくされ、工廠廃止の際に残る資材等はその後新規に入手される物資であるはずである。このような場合には、工廠発足の際と廃止の場合に、それぞれ資材の買収又は払下が行われたとみる方が遙かに常識的で自然である。原告のいうように、両者間の差引数量だけが使用され、その分についてのみ損失補償が行われたとみることは、牽強附会である。
(5) 商工省整理部長は、原告が(一四)(2)末段に主張するように、当初の契約金額を訂正したい旨提議したことはない。その際の提議は、懸案の残存資材に関する払下代金額についての協定方の要請にすぎない。
第四審査決定の適法性について
原告は、被告東京国税局長が戦時補償特別税の審査請求に対する決定をなすに当り、その課税価格を増額したことを違法であるとして種々論難する(一五)けれども、
(1) 国税局長(往時は財務局長)が審査決定するについては必ずしも原更正処分にとらわれることなく、改めて課税価格を再検討し、これを増額すべきものと認めるときは、進んで増額する権限を有することは、既に行政裁判所において確立された理論である(行政裁判所、大正六年第五五号大正七年三月三十日三部宣告。同、大正八年第五二五号大正十一年十月十日宣告同、大正九年第六九号大正十一年十月十日宣告)。
原告の主張は、もしこのようなことが許されるならば、国税局長が審査請求のなされた事項以外の新たな行政処分を行うことになり、審査請求者の有する審査請求権を不当に奪う結果になる、というにある。しかしながら、審査請求の趣旨は、課税価格についての税務署長の認定が誤つているから、上級官庁である国税局長において是正されたいというにあるのであつて、国税局長は、これに応え、その課税価格について再検討を加えて、新たな処分をするのである。もつとも、税務署長の行政処分と国税局長の行政処分の対象は、同一の客体であつて、国税局長が原処分と別個の事項について新たな処分を行う、というわけではないのである。またこの間に、不利益変更の禁止という法理はないのである。
(2) 原告は、納税者に対する救済手段である審査において、納税者に不利益な決定をすることは、救済の本質に反するという(一五(1))。しかしながら、租税の賦課徴収処分は、いわゆる覊束処分であつて、法規を厳正に適用して得られた結論に対しては、行政庁側において如何なる裁量をも加えることができないと同時に、納税者側においても、この結論以上に有利に取扱われる何らの権利を有するものではない。納税者がこれについて有する利益は、法規が厳正に適用されるという利益であつて、この利益の侵害に対しては十分に救済が与えられるべきであるが、その救済は、あくまでも法規の厳正な適用を保障する、ということにある。その救済の結果、たとえ原処分が内容的に納税者に不利に変更されたとしても、このため、納税者が法律的に不利益をこおむつたとすることはできない。むしろ処分が正しく行われることによつて、その救済がつくされたとすべきである。
(3) 原告は、国税局長には法律上課税処分をする権限が与えられていないし、また従つて、その手続規定もないから、審査決定においては、単に原処分の当否を判断できるにとどまる、という(一五(2)(3)(6))。思うに行政庁が法規に基かないで、行政処分を行うことのできないことは、当然であるが、国税局長に法律上増額決定(課税処分)をする権限が附与されているか否かは、戦時補償特別措置法第三十一条の規定の解釈によつて定まることである。そうして、前述行政裁判所裁判例の見解によれば、同条は、正にこの権限を規定したものに外ならない。
(4) 原告は、審査決定による増額処分については、再び審査請求をすることができないから、この分については、救済手段がないことになつて、不当な結果を生ずるという(一五(4))。しかしながら、増額決定というても、原処分の課税対象と異なる他の課税対象に対して行われるものではない。原処分による課税対象の認定に誤りありとして審査請求が行われ、これに対して改めて課税対象の正しい認定を行つて、その決定が下されるのである。増額決定自体が法規の厳正な適用を保障する審査制度の趣旨に合致するもので、増額分に対する二重の審査請求を考えることは無意味である。また審査制度は、人的にも物的にも税務署長より遙かに優れた機構を有する国税局長をして税務署長の処分を慎重に再検討させることを本質とするものである。国税局長が慎重に検討して行つた処分に対しては、も早審査制度を考慮する必要なく、直ちに訴願又は訴訟による救済を認めれば足りるのである。
(5) 原告は、昭和二十五年の所得税法等の改正によつて、審査決定が原処分に対する爾後審査であることが明確にされたがこれは、従来の法理を改めたものではない。と主張している(一五(6))。しかしながら、みぎ改正の趣旨は、審査決定の性格を立法的に改正するにあつたもので、従来認められていた法規を明文化したものではない。改正前の法律は、みぎに述べたように、別に理論的に非難さるべきものではないが、実際面にいささか妥当を欠く面があつたのでこの改正が行われたのである。このことは、所得税法施行規則旧第六十五条の規定による国税局長の再更正権がみぎ改正の際に削除されたことを考え合わせるならば、容易に理解できるところであろう。
(6) また原告は、行政裁判所裁判例は、賦課課税制度下のもので、申告納税制度下では改められねばならない、と主張している(一五(8))。そして前掲行政裁判所の裁判例以後において賦課課税制度から申告納税制度へ制度の変化があつたことは、原告主張のとおりである。しかし、申告納税制度下においても政府の行う更正または決定は、租税の賦課処分であつて、その本質において、賦課課税制度下の租税賦課処分と何ら異るところがないから、行政裁判所の判例の変更されるべき理由は少しも存しない。(答弁の事由、終り)
IV 当事者双方の証拠の提出及び認否<省略>
三、理 由
第一はしがき
一、つぎの事実、すなわち、
(イ) 原告は、もと中島飛行機株式会社と称し、航空機の製作等を目的としていたこと、並びに、昭和二十年八月十七日に名称を現在の商号に変更したこと、
(ロ) 被告国が昭和二十年四月一日に第一軍需工廠を設置し、同日原告の工場施設について使用令(その効力の及んだ範囲をしばらく措く。)を、その従業員について供用令を各発したこと、
(ハ) 同工廠は、設立の当初から原告の全事業施設等(固定資産・流動資産等の物的のもの、並びに、従業者等の人的のもののすべてを含む。)をもつて、航空機の生産に当つたこと、
(ニ) 国営移管当時に原告の保有していた原材料・仕掛品等は、その帳簿上に登載されていたか否かにかかわらず、全部その所有権が即日被告国に移転されたこと、
(ホ) 被告国は、みぎ(ニ)により、原告から原材料・仕掛品等を取得したことによつて原告に支払うべき金員について、昭和二十年七月中に原告との間において、契約書(乙第二号証)を交換し、その数額を金十六億五千五百十万千八百六十一円十九銭と協定したこと、
(ヘ) 太平洋戦争の終結に伴い、第一軍需工廠の保有していた資材等の所有権は、第一・第二各軍需工廠長官あての軍需大臣通牒(乙第六号証)に基く同年八月十八日附の第一軍需工廠長官の原告社長あての通牒(甲第六号証)によつて、原告へ移転されたこと、
(ト) 原告は、昭和二十年八月下旬及び同年十月上旬の二回に前掲(ホ)の金額の内金として計金六億五千万円の支払を受けたこと、
(チ) 原告及び被告国は、昭和二十年一月八日に覚書(乙第四号証)を交換し、ついで同年五月中に前掲(ヘ)の資材等の払下名義の対価相当金の数額を金四億二千二十三万八千五百三十円十二銭と協定したので、原告は、(ホ)の金額から(ト)の金額及びみぎ金四億二千二十三万八千五百三十円十二銭を控除して、その差額を被告国に請求したこと、
(リ) 原告が麹町税務署長に対し戦時補償特別税の申告をするに際して、前掲(ホ)の請求権の価額のうち、前項により控除した金四億二千二十三万八千五百三十円十二銭に相当する債権額を課税価格に算入しなかつたところ、同税務署長は、これを算入すべきものとして更正し、且つ、金四億二千二十三万八千円の納税告知書を原告に送達したこと、
(ヌ) 原告が麹町税務署長の処分について被告東京国税局長に対し審査の請求をしたところ、同被告は、原処分を維持したばかりでなく、課税価格を金十五億千百七十二万九千八十七円五十一銭に増額して、その旨を原告に通知したこと、
以上(イ)ないし(ヌ)の各事実は、当事者間に争いがない。
二、さて本件において、
(ル) 前掲(ロ)ないし(ニ)の事実による原材料等の所有権の工廠への移転原因、並びに、(ホ)の契約金の性質、
(ヲ) 前掲(ヘ)の事実による原材料等の所有権の原告への移転原因、(チ)の数額についての原告の債務の成否、並びに、これを肯定するとき、その債務の性質、
二、さて本件において、
(ル) 前掲(ロ)ないし(ニ)の事実による原材料等の所有権の工廠への移転原因、並びに、(ホ)の契約金の性質、
(ヲ) 前掲(ヘ)の事実による原材料等の所有権の原告への移転原因、(チ)の数額についての原告の債務の成否、並びに、これを肯定するとき、その債務の性質、
(ワ) 原告が前掲(ホ)の契約金(戦時補償請求権)から(チ)の金額を控除して請求したとき、被控除額について、相殺(戦時補償特別措置法第二条の規定にいう決済)の成否、延いて、同法による同額の(リ)の金額の納税義務の成否、
(カ) 前掲(ヌ)の審査の過程における課税価格の増額は、手続的に見て有効か否か、
等の諸点が主として争われている。
よつて以下に、(ル)の点については、第二において、(ヲ)及び(ワ)の点については、第三において、(カ)の点については、第四において、順次に判断し、最後に、第五において、本訴請求の当否の総括を示すこととする。
(第一、おわり)
第二原告の工場の国営移管時における、その所有の原材料・仕掛品等に対する
措置と、これに関する政府債務の成立について
前出(三四)の(イ)ないし(ホ)の事実と、成立に争いない甲第二号証の一・二、同第四・五号証、同第十五号証、同第二十二号証、原本の存在及び成立について争いのない乙第一・二号証、同第九号証、同第十六号証の五・九・十(但し、後に説明する信用できない供述記載部分を除く。)並びに、証人岩崎健彦、同原田貞憲、同山本昇の各証言(後二者の証言のうち、後出の信用できない部分を除く。)まとめて考えると、以下A及Bの事実を認定することができる。
A 政府が原告所有の原材料・仕掛品等の取得のため予定した具体的措置
一、太平洋戦争中における政府の施策がすべて戦力の増強に指向されたことは、あらためて説くまでもないことであるが、とりわけ戦争の進展に従い、戦勝を得るための戦力の中核は、航空兵器の増産にあることが明白になつた。この目的のために、軍需省、殊にその航空兵器総局においては、従来主として民間企業に委ねられていた航空機工業を国営化することについて、昭和十九年秋頃からその実行の可否ないし方式を調査研究していたところ、時あたかも決戦段階に追い込まれていただけに、民間企業家の間においてはもとより、同局部内にも異論があつたが、ともかくも実行に移すための成案を得た。
政府は、昭和二十年二月二十七日に情報局発表をもつて、「軍需生産企業の体制及運営に関する件」として、「戦局の情勢等に依り、民営よりも国営を以て適当とするものに就ては、之を国の経営に移すことあるべき」旨を公示し、ついで、同年三月二日の閣議において、「敵の空襲下に於ける航空機の生産維持培養の為特定の航空機工場に対する緊急措置要綱」を決定した。当時政府の方針として、発表を許されたところによると、今次の国営は、一律的、恒久的方策としてではなく、特に必要と認められる特定の数工場(その何であるかは、当時直ちに公表されなかつたが、先ず原告の工場が選ばれ、逐次他会社のそれに及ぼすものと予定された。)に対し臨機非常の措置として行い、国家総動員法第十三条の規定に基く工場事業場使用収用令の発動によつて使用工場を軍需省所管の官営工場とし、使用のための経理的措置は、簡明迅速を旨として別途定めることとし、みぎは、おそくとも同年四月一日から実施する旨が示されたのである。もつとも、この閣議決定は、いわる民有国営方式の大本を定めたものであり、工場施設の使用及び従業員の供用について、国家総動員法第十三条、工場事業場使用収用令による命令を用いることを示した外、他によるべき具体的手続、殊に、経理的措置(資材等の取得のための措置を含む。)の内容のすべてを軍需省当局に一任したのである。
二、軍需省においては、前項に示したとおり、民間航空機工業の臨時国営化の政策について閣議の承認を受け、且つ、そのための民間工場の使用について工場事業場使用収用令によることに関し同令第二条の規定の命ずる内閣総理大臣との協議を経たので、早急にこれを実現することにした。よつて事務的には、同省総動員局において、同令第三条及び第十二条の各規定による「使用令書」及び「供用令書」を原告に送達する準備を進めた。さらに、この案件の主管部局の一である同省航空兵器総局経理局においては、閣議請求前からの調査研究の結果により、原告工場が生産活動をしているままの状態において、その事業を一丸として国営に移すための実施策として、昭和二十年三月初旬に「第一軍需工廠に関する経理関係事務処理要領」の名の文書において、原告工場の国営移管のために、また、移管後にとらるべき経理措置一般についての軍需省としての具体的方策を確定した。
みぎ処理要領の内容は、多岐にわたるが、主なるものは、国営移管の措置のうち、使用令の発動に伴う措置として、工場に属する土地・建物・機械施設等に対する損失補償を使用料名義で支払うべきこと、並びに使用料算定要領及び使用資産の引継要領等について定めた外、使用令の発動に伴う措置とは別に、原告所有の原材料・仕掛品等を、すべて原会社との契約により、帳簿価額をもつて買い上げる意図を明確にし、且つその前提において処理すべき事項を定めたのである。すなわち、
(イ) 有形固定資産中、使用令の対象となる土地・建物・構築物及び機械装置を除くその余の現有の船舶・運搬具・工具・器具等、並びに、棚卸資産、すなわち、貯蔵材料・仕掛品等のすべては、原会社との契約に基き、全部政府において買い上げること。また当座資産中、協力工場等に対する前払金債権は、原告との契約に基き、当該購売契約における原告の地位を承継して、政府において譲り受けること、
(ロ) 前号中、前段に示した買収資産たる固定資産及び棚卸資産の価額算定は、その帳簿価額によつて算定すること。前号中、後段に示した前払金債権については、原会社の前払金額をもつて承継価額とすること、
(ハ) 政府において買い上げる固定資産にあつては、固定資産台帳を、棚卸資産にあつては、在庫表及び半成品台帳を、ともに同年三月三十一日の現在高によつて、工廠において、そのまま引き継ぐこと。また、原会社と協力工場との購買契約は、各協力工場に対しこれを工廠において引き継いだ旨の通知をして契約更改にかえ、前払金は、工廠の前払金として、工廠において承継すること、
とし、なお、買収承継は、国営移管の閣議決定の線に添い、同年四月一日(従つて、その代価も同日現在の帳簿価額による。)に実施することとし、その前提として、原会社の会計経理は、同年三月三十一日をもつて締切り決算を行うこととし、その決算にあたり特に処理すべき細部事項を定めた。なお、みぎ経理関係事務処理要領は、航空兵器総局経理局の各課において、それぞれその担任事項について検討し、その結果を局内会議にはかり、同局長において決裁したものであつて、すなわち、同局長は、みぎ総局内の経理関係の契約担任官として、前示原材料・仕掛品等の売買契約による買収案を決定したものである。
三、前項に明かにしたとおり、軍需省当局は、原告工場を国営に移管する手段の大本として、原告工場を組成する土地・建物その他の工作物機械、器具その他工場の用に供するものは、国家総動員法に基く工場事業場使用収用令第三条の規定による使用令書の送達によつてこれを使用し、この使用工場に使用する従業者は、同令第十一条の規定による供用令書の送達によつて事業主である原告に供用させて使用するほか、使用令によつては適法に使用又は入手することのできない原材料・仕掛品等の流動資産は、被告国において、これを契約によつて原告から買い上げ、その所有権を取得する方針を立てたのである。そのようにせざるをえないゆえんは、工場使用令という公用使用権制度の対象物における法的限界の然らしめたところに外ならない。工場そのものに属しない原材料・仕掛品等の入手については、契約による限り、原告の同意を万一にも得られない以上は、その実効をおさめることができないので、その場合に被告国は、国家総動員法第十条の規定に基く総動員物資使用収用令による収用の手続によるべきであつたろう。しかし被告国は、当初からその用意をしなかつたというよりは、あくまでも原告の協力追随を期待し、当時の緊迫した情勢のもとにおいては、当然にこれあることを確信して、その煩を避けようとしたものと思われる。というのは、後者はもともと、ある企業に属する全工場保有の流動資産の全部というような巨大量の物資を使用又は収用する目的で立案されたものでないから、本件の場合に忠実にこれによることは不能に近く、かりに可能としても、その準備において、またその執行において、行政手続上繁雑を極めることであり、かくては、前示閣議決定にいう簡明迅速の本旨にも反するからである。このような観点から、被告国は、原材料等を取得する方法として、原告との合意による契約の方式によることを希求し、もつて簡易に、しかも効果的に結果を収めることを念願していたのである。
B 原材料・仕掛品等についての政府の買上方針に対する原告側の態度
と、売買の実施等について
一、軍需省航空兵器総局は、原告工場の国営移管の方法としての法的手続についての政府側の準備を進めるとともに、移管の対象とされた原告工場、すなわち、設立される工廠の幹部職員となるべき者に対し国営移管の手続についての認識を得させ、国営移管及びその後の事務運営を円滑にする目的をもつて、昭和二十年三月八日頃に原告会社社長であり、その生産責任者である中島喜代一を委員長とする第一軍需工廠設立準備委員会を設置した。同委員会は、総会のほか、担当業務別に三班に分れて、総務・人事・生産・経理等の諸事項について、それぞれ説明・打合の会合を持つたが、経理事務担当の第三班においては、原告側からその本部経理部長、武蔵製作所主計課長外一名が、軍需省側から事務当局を代表して、航空兵器総局第四局主計課長、契約課高級課員外一名がそれぞれ委員又は同補佐として出席し、前示経理関係事務処理要領が議題に供されたところ、会社側委員から、移管後の経理運営方式の細目の点について修正意見が提出され、そのように改められたけれども、移管に際する資材等の売買契約については何らの異論がなく、かくして分科会の検討承認を経た原案は、殆んどこのまま実行に移すべき旨が委員会から軍需大臣に答申された。
もつとも、この準備委員会は(三七)及び(三八)に説明した契約の締結について、原告と政府との間に協議することを直接の任務とするものではなかつたことは、原告の主張するとおりであるが、なお且つ、原告工場を国営に移管するためにとろうとする方策について、政府の意図したところは、この委員会を通じて原告に伝達されたのであり、これに対する原告の意見があれば、なんらかの形で表明する機会と余裕とが与えられたはずであるが、該委員会においても、はたまた、他の機会・方法においても、原告の反対の意見は終始表明されるところがなかつた。そうして、前示委員会の委員補佐であつた牛山主計課長らは、委員会終了後に原告会社の各製作所会計課長及び出納係員らを集めて、前示処理要領を示し、国営移管及び移管後の工廠運営方式をこれによるべき旨を説明し、移管実施の日に備えたのであつた。
二、このような経過の後に、予定の昭和二十年四月一日に原告会社工場において第一軍需工廠の開廠式が行われ、その機会に軍需大臣吉田茂から原告会社社長中島喜代一に対し前示使用令書及び供用令書が交付された。そうして、このとき原告の職員その他の従業員は、被告国の職員である身分を取得し、原告の工場を組成する設備機械等には、被告国のために使用権が設定されて、任意にその引渡しが行われたが、こうした手続も、はたまたみぎ職員等による工廠としての爾後の事業の運営も、前示第一軍需工廠設立準備委員会による答申の線に従つて行われ、また同時に原告所有の原材料等に関する権利義務関係の被告国への承継は、前示委員会の答申に際し当事者間に了解された前示経理関係事務処理要領の定めるところに準拠して行われたのである。かくして、原告の従来の事業は、表面上その経営主体を変えたに止まり、いわば看板の塗り替えという当務者の標語の文字どおりに推移した観のあるように、なんらの混乱も摩擦も見られなかつた。ただ国において買い上げることにしていた原材料仕掛品等の価格については、その基準である帳簿価格を算定するための事務が後に残され、昭和二十年三月三十一日現在で原告の会計計算を締め切り、決算をする等の整理に日子を要したので、ようやく同年七月に至り、その額が金十六億五千五百十万一千八百六十一円十九銭と確定した。よつて、その頃に被告国を代表する軍需省航空兵器総局第四局長と原告会社社長中島知久平は、原材料等の買収承継資産等の代価が昭和二十年四月一日現在の移転時において、前示金額であることを、契約書と題する書面(乙第二号証。その作成日附は、遡つて昭和二十年四月一日となされた。)によつて確認したのであり、同時に原告が同額の請求書を政府に提出することによつて、その弁済期が到来したのである。
三、以上(三六)乃至(四〇)に認定した事実の経過をまとめて考えれば、被告国は、係争の原材料・仕掛品等を強制の手続によることなく、合意による有償契約の方式によつて取得する意思を有し、昭和二十年三月中に主として第一軍需工廠設立準備委員会の会合の機会等を通じて、原告に対しその意思を表明したところ、原告は、これに応じ、同年四月一日に現実にこれら物資の所有権等を被告国に譲渡することによつて、売買を即時に完結したものであり、その代金については、その額の算定方法を帳簿価格による旨のかねての合意に基き、後に算出して、同年七月頃に具体的に確認するに至つたものと認定することが相当である。
そうして、原告がみぎ売買契約に基く対政府債権について、昭和二十年八月十五日以前に戦時補償特別措置法第一条第一項第一号にいう決済を受けていないことは、弁論の全趣旨に徴して明白であるから、原告は、被告国に対し同法にいう戦時補償請求権、詳しくは、同法別表一第六号に掲げる戦時補償請求権を有していたものといわねばならない。
みぎの次第であるから、前示乙第十六号証の五ないし九の供述記載中、並びに、証人崎谷金二、同太田輝、同原田貞憲、同山本昇及び同牛山雅夫の各証言中、みぎ認定に反する部分(殊に、原材料・仕掛品等を含み、人も物も一括して、使用令及び供用令の効果として、一方的、強制的に国の管理に移された旨、並びに、資材等の売買は、単にその形式として整えられたものに過ぎない旨)は、いずれもこれを信用しない。
C 原材料等の所有権の工廠移転原因等についての原告の主張を採用でき
ないこと
以上A、Bに説明したところによつて、これに反する原告の主張を採用できないことは、自ら明かにされたのであるが、なお、原告がその主張の根拠として述べる細部にわたつて、前認定に補足的の検討を試みる。
一、(五)及び(六)の所論について、使用令書(乙第一号証)中に使用の範囲として、「(前略)物ノ全部」という記載があるけれども、その字句は、工場事業場使用収用令第二条の規定中に用いられている立言そのままを引用したものであり、また昭和二十年三月二日の閣議決定(甲第一号証の二)中の使用の範囲に関する記載は、みぎ「物」の一字を国家総動員法第十三条第一項の規定中に用いられている「施設」の文字に置きかえただけである。従つて、みぎ令書又は閣議決定中の字句の意義のいかんは、これら法令の規定の解釈にまたねばならない。ところで、みぎ法条の解釈としては、ここに「施設」又は「物」とは、工場の施設に属しない資材等を含まないことは、被告らの主張するとおりである。しかるに、令書又は閣議決定の意味がことさらこれと異なる趣旨に出たものと解すべき資料は、これを発見することができないから、閣議決定において、国家総動員法に基く使用令の発動を云々する限りにおいて、その決定の少くとも表面上において、使用令の対象となしえない原材料・仕掛品等の措置に触れていないことは、むしろ当然のことである。かえつて、使用令の発動は、主管大臣一人のよくするところでなく、内閣総理大臣との協議を経ねばならぬ点において閣議事項となるにふさわしいことである。しかし、およそ閣議事項には法的の制限はないから、原告の主張するとおり、閣議において、原告の所有する工場所属の貴重な資材に対する措置が全く論議の外に置かれるはずのなかつたことも、当然に推認されねばならぬ。前判示のとおり、いわゆる国営移管の問題は、軍需省航空兵器総局における調査研究の結果に基いて、閣議請求がなされたことであるから、その閣議においては、軍需大臣から移管の具体策についての事務当局における一応の成案が報告されたはずであり、反証のない限り、後に軍需省当局が事務的に執行したところ(前出(三七)ないし(四〇)に判示した措置)の大綱は、このとき予め披露されたものと推認されるのである。しかも、移管手続の細目は、事務的には重要であつても、情報局発表に値いする政治性を有しない。すなわち、これら諸般の事情と前示甲第二号証の一・二とあわせて考えるならば、閣議上程とその決定発表の本旨は、航空機生産の拡充が戦時下最も緊要のことであり、且つ、国営移管が民間企業に与える影響にかんがみ、民心の結集を害せず、むしろ作興するよう、精神的及び経済的成果を期待して、その強力な実行方を主務大臣に命じ、且つ、関係者をして指導者の決定にならわせようとする点にあつたものと見るべきである。従つて、発表された閣議決定は、施策を実行するための法律的手段方法のいかんを細目にわたつて指示するものではなく、この点については、むしろ主管大臣の意見のとおり、使用令及び供用令によるほか、補充的に契約をもつてするという方式をとることを承認する前提において、すべて事務当局に一任したものと解すべきであろう。また、事務当局としても、国営移管についての政府の確固たる方針さえ確定すれば、対象となる企業家は、当然これに追随するものと確信していたことは、前判示のとおりである。しかるに、これと反対に、閣議決定中に使用令及び供用令の発動にだけ言及していることから推して、政府は、単に使用令の発動によつて原告の工場財産を一括して入手できると考え、且つ、そのように実行に移すことを命じたと考えることは、みぎ判示の閣議決定の経過に徴しても、法律的根拠の点から考えても相当ではない。
使用令の法律的効果の限界については、さきにもふれたとおり、固定資産の使用と流動資産の収用とを一の行政処分によつて達し得るような考慮は総動員法令の立案に際して、めぐらされてはいないのである。本件において、私企業の国営移管という経済的目的の達成が念願されたことは、相違ないとしても、前示のとおり、公法上こうした目的に奉仕する包括的法定の形式は見当らないし、また、そのような特別の契約の合意もない。ただ、少くともこの目標に到達する法律上の手段として、前認定のとおり、先ず、工場用施設に対する使用令、並びに、人員に対する供用令が発せられ、さらに、原材料等の有体動産についての売買を合意するという、各別の法律上の形式がふくまれている、と見ることができるのである。しかるに、この経済上の終局の目標に目を奪われて、法律上の制度としての使用令及び供用令の本来の効力を過大視し、それが前示所期の経済的目標に添う全法律効果を支配できるものと考えることは、第一に、法律の解釈論として、これを許すことができない。そうして、第二に、事実認定の問題として、使用令及び供用令のほかに、売買契約という法律形式の成立を肯定できる証拠資料の存することは、さきに説明した。しかるに、使用令及び供用令の法的限界を承認しながらも、それが被命令者の諾否を問題としない一方的の強権措置であり、従つて、工場施設と経済的に密接な関連のある、しかし、使用令等の効力の及ばない原材料等についての措置が自ら制約されるということから、直ちに、原材料等の工廠への移転については、私的法律行為の成立する余地がないものと推論することはできないのであつて、それは、政府が使用令を違法に執行した結果であるとすることは、ことを誣いた断定であるというのほかはない(この点については、なお、後出(四五)末段参照)。
なお、軍需大臣の訓示が問題とされているが、この訓示は、一通の令書のみによつて、全工場財産の移管を命じたものと解しなければならぬ表現を欠いている。かりに、みぎのような趣旨がこの訓示中に盛られたものと酌みとるとして、なるほど当時の情勢において、大臣の訓示が法令の規定又は行政処分にも準ずべき時には、事実上それ以上の効果を発揮した事例もありえないことではない。しかし、戦時中といえども、いやしくも法治国たるを失わない限り、一行政官庁の命令をもつて法律の限界とするところを超えて、しかもその効力を法的に実現することを一方的に命令するだけで、それに対する協力がない限り、その効果を期待することはできないはずである。問題の訓示をその表現の末節にとらわれずに合理的に理解する限りは、旧帝国憲法第三十一条の規定による非常大権の発動に至らなかつた当時において、本来制約の約束された法令自体の運用を、その規定の内容を超えて行うよう命じたものではなく、「法令ノ瑣末」「従来ノ制度」「既往ノ形式的観念ニ捉ハ」れることのない「企図心」によつて、別途に事業運営上その効果を期待したものと解すべきである。原告の資産の移管に当つて当事者間に授受された文書は、使用令書及び供用令書の二通だけであつても、そのことから、二通の令書即移管の全方式という結論は、出て来ないのである。
使用令の執行に際し、土地・建物・設備の調書等の物件明細書が作成されなかつたことは、被告国もこれを争わない。その他これに類する法令の期待した手続が不備のままに推移した事項は、他にもあることであろう。しかし、そのことから、使用令書(乙第一号証)又は供用令書(甲第四号証)が法令の規定によらないそれであつたということにはならないし、こうした手続上の瑕疵をとりあげて、移管手続のすべてが非合法であつたと論断できないことは、もちろんである。
二、(七)の所論について、原告工場の国営移管が臨機非常の措置として行われたことは、さきに(三六)に認定したところである。そうして、証人太田輝及び同原田貞憲の証言によれば、国営移管については、ときあたかも決戦段階に際会して、政府は、そのことの事業運営に及ぼす影響を憂慮し、且つは、その実施についての企業者側の反対をしん酌して、専ら摩擦と混乱とを避けるために、民有国営の方式を採用したものであつて、昭和二十年八月中終戦ということのもとより未だ予測すべくもなかつた当時としては、さしあたり一定期間後又は短期間で原状に復すということは、当事者の念頭になかつたこと、しかも原告は、事業経営の一時の喪失にかかわらず、他日に備えて、その再開可能の態勢を維持していたことが認められる。すなわちみぎ認定の事実、並びに、工場事業場使用収用令による使用令の性質にかんがみれば、企業自体における他日の現状回復の途は、当然に予定されたものということができよう。しかし、ことを原告所有の工場財産を組成した原材料・仕掛品等に限定して考えるならば、その所有権が工廠の設立に際して被告国に帰属したことは、原告もこれを争わない。思うに、これらは、消耗品であるから、その使用収益を考える以上、所有権の移転を伴うことは、事物の自然である。従つて原告のいうとおり工廠廃止のときに、その保有する資材等を原告に再び移すことが事実上確実に予期されたとしても、(一三)(4)にいうとおり、代替物として同一性を保持するものとしての返還であることを前提的に合意するほかないのであつて、その間における資材の消耗は、通常の法律用語例による使用の観念には含まれない。それは、明かに固定施設としての工場設備の使用とは、概念を異にするものがある。にもかかわらず、後日における資材等の移転の事実上の予期ということをもつて、その間の関係を一時的な使用であると論ずるのは、原告が、資材等も使用令の効果として移転した、と主張することの論理のやむなからしめた結果としての説明にほかならない。これと逆に、当初に移転した、資材等が「代替物であるから、同一性を保持すると見」て、他日の返還を予想できたという理由によつて、その法律関係を使用令の効果であるとすることは、合理的な解釈ではない。
三、(八)の所論について、乙第二号証中の「軍需大臣使用令書ニ基キ」の文書は、使用令とその効果としての原材料等の所有権移転その因果関係を推測させるかのようであるが、そのような関係の認められないことは、上来説明したとおりであり、この文言につづいて、原告「所有資産ノ買収及承継ニ関シ左ノ通リ契約ス」と記載しある点、その他同号証の全文を通覧すれば、前示の文言は、必ずしも使用令の効果が原材料等の所有権移転に及んだ趣旨を表現したものとしか読めないわけではなく、この点に関する証人太田輝及び同牛山雅夫の各供述部分は、これを採用しない。従つて、乙第二号証の文書に徴して、これによつて協定した金員の性質を使用令による損失補償であると解すべきであるとすることはできない。そうして、原材料等の所有権の移転が使用令によるものでない限り、その損失は、国家総動員法第二十七条及第二十九条の規定の予定しないところである。ただ同法第二十七条の規定は、同法第十条の規定に基く物資の収用による損失に対しても、これを補償する旨を定めるが、使用令書(乙第一号証)は、工場事業場使用収用令によるものである旨を明記しているので、その文意に反して、兼ねて物資使用収用令を適用したものと見ることはできないから、この損失は、国家総動員法第十条の規定による処分に由来するものでもないこととなる。その他に、公法上の損失補償については、法律上なんらの明文のない限り、これを認めることができない。しかもなお、乙第二号証による契約金が原材料等の処分に代る金員であるとする限りは原材料等の有償譲渡による対価、すなわち売買代金であると解することが合理的であるとしなければならない。
四、(九)の所論について。
(1)の点は、前出(三七)及び(三九)参照。なお、原告は、本件売買契約の締結については、契約担任官が衝に当つていない。という。しかし、ある契約が契約担任官の責任において結ばれたと認められる限り、その成立過程における具体的折衝の末に至るまで担任官自ら行わなければならないとする理由はない。前出(三九)に示すように、第一軍需工廠設立準備委員会に出席した航空総局第四局主計課長らは、契約担任官である同局長を代理して原告に対し売買契約案を伝達したものと認められるのであつて、結局昭和二十年四月一日に至つて成立した前認定の契約は、原告を代表するその社長と被告国の契約担任官との間に成立したものと解することが相当である。このことは、その後同年七月中に作成された同年四月一日附契約書が、みぎ契約担任官と原告会社社長とによつて署名調印されたことにもあらわれているのである。
(2)の点は、前出(三七)及び(三八)参照。
(3)の点は、証人牛山雅夫の証言によれば、原告の主張するとおりの事実が認められ、また係争契約について、その成立の当時に契約書が作成されなかつたことは、当事者間に争われないが、証人岩崎健彦の証言によれば、こうしたことは、戦時中他にも類例のないではなかつたことが認められるばかりではなく、前認定の契約成立の経緯から考えて、特別の事情のもとにされた特異の例と認めるのほかはないであろう。
(4)及び(5)の代金決定の標準を帳簿価格にとり、且つ、簿外資産の評価を無視したことは、簿内及び簿外資産を含めての売買代金を決定するについて、合理性を欠いた嫌いがないではない。しかし、証人原田貞憲の証言にも見られるとおり、業務の停止による大規模の調査に時日をかすのでなければ、到底正確な結果を得ることができないし、しかも当時の情勢として、かような方法によることの許されなかつたことは明かである。そうして、証人牛山雅夫の証言によれば、事業を中断しないで数字を算出するとすれば、帳簿価格を基準とするよりほかに方法がなかつたことが認められるが、このことは、乙第三号証による契約金の性質をいかに理解するとしても、同様の問題である。蓋し、公法上の収用による損失の補償も、通常生ずべき損失を補償することが本則であるとともに、他面売買においても、殊に戦時中であるとすれば、格段の不利益とならない限り、みぎの範囲を出でない場合のあり得ることは、当然に予測しなければならない。してみれば、他によるべき適当の方策の見出されない限り、合意によつて、前示のような便法によつて、代金の額を決定することは、少しも違法でなく、また、不能を期待しない法は、かような方法による売買の成立を否定するものではない。
(6)の点は、政府としても、あくまで原告の協力を期待していたものであることは、さきに(三八)に説明した。そして(三九)及び(四〇)に認定したように、政府のとつた一方的処分は、使用令の送達だけであり、しかも、その執行は、行政執行等の手段によることなく、国営移管のすべてが原告の協力によつて滞りなく遂げられたのである。ただ証人太田輝、崎谷金二、山本栄、牛山雅夫の各証言によれば、工廠の発足に至るまでの間に、原告と政府とが売買ないしその条件について、ともに全く白紙の立場から協議らしいものを取りたてて行つたという形跡のなかつたことが認められるけれども、それは、当時原告も国家の重大危局に際して一意国策に従うという観点から政府の方針に協力する態度を示していたので、政府も、原告の協力を得ることを終局的に期待し確信していたに過ぎないものと推認される。しかもなお国営移管の実際が原告の協力によつて行われた限り、その一部である原材料等の所有権移転の原因の契約性を否定することは、相当でないものとせねばならぬ。証人崎谷金二の証言に見られるように、政府がその一旦決定した資材等買上げの方針を絶対に変更しない態度を示したことがあつたとしても、当時の行政運用の方針としては、やむをえないところであり、これまた、前認定の妨げとなるものではない。 (第二、おわり)
第三第一軍需工廠の廃止に伴う同工廠手持資材等の処分と、さきの国営
移管時における原材料・仕掛品等に関する政府債務の整理
昭和二十年八月十五日に終戦を迎え、第一軍需工廠が当時保有していた資材等の所有権が同月十八日頃に原告に移転され、且つ、当時その引渡が行われたことは、前示(三四)(ヘ)のように当事者間に争いのないところである。そうして、成立に争いのない甲第六・七号証、第十八号証、原本の存在及び成立について争いのない乙第四ないし第六号証、同第七号証の一・二、同第十六号証の十一、証人根本祐隆の証言によつて当裁判所が真正に成立したと認める乙第八号証、同第十ないし第十四号証、証人根本祐隆、同等松農夫蔵、同牛山雅夫、同山本昇、同太田輝の各証言(但し、証人牛山、同山本、同太田の各証言は、いずれも前出及び後出の信用しない部分を除く。)をまとめて考えると、以下A及びBの事実を認定することができる。
A 終戦直後に第一軍需工廠の手持資材等の所有権が原告に移転された事情
一、軍需大臣は、終戦直後の昭和二十年八月十七日に第一・第二各軍需工廠長官にあてた電報により、同日附航兵総秘電第六一三二号通牒(乙第六号証)を発し、各工廠における航空関係兵器の製作及び疎開事業等を停止すべきことを命ずるとともに、工廠廃止に先だつて、(イ)従前「原会社ヨリノ借上設備及機械等ハ原会社ニ」返還し(第二号)、(ロ)「官設民営施設及機械類ハ原会社ニ無償払下」げる旨(第三号)を指示し、(ハ)原材料・仕掛品等の資材については、「努メテ民需ニ振向クル如ク処理ス」という外、具体的の処理方法、たとえば、払下の相手方・原因及び対価の有無等を定めないで、ただ単に「適宜処理」するように各工廠長官に具体的措置を一任した(第四、五号)。
軍需大臣がみぎのような通牒を発した事情は、つぎのとおりである。当時連合国軍が国内に進駐すべき日時が目前に迫つていた頃で、被告国は、早急に軍需工廠を解体する必要から、人と物との処理を決定しなければならず、また官民を問わず、国内を挙げて、ひたすら占領軍による物資の押収がおそれられていた。よつて、軍需省当局は、軍需工廠の保有した全物資について押収を免れさせ、これを一般の民需にあてる方策を講ずる必要があると思料したが、そのうちでも資料等は、多種多量にのぼるので、その品目・数量、並びに、工廠が保有するに至つた由来等を考えて、直接に具体的の措置を命ずることは、混乱状態の折柄、極めて困難であつた。しかも、この問題の主管を命ぜられた同省総務局管理課は、他部局殊に経理局との合議も経ないで、全く緊急非常の措置として、前示通牒を起按したのであるが、結局前示大臣通牒全文の趣旨は、原会社から官に借上げにかかる土地・建物その他の工場施設を原会社に返還することはもちろん、その他のもので民需にあてることのできるものは、無償で、または対価の有無に触れずに、これを原会社に譲渡し、あるいはその他広く一般民間に放出する等の処分方法をとることを認め、専らこれを官の手から離すことの方便として、民間に移すことによつて処分する目的に出たのであつて、国有の原材料等の資材については、その事実上の処分が全く第一及び第二各軍需工廠長官に白紙で委ねられたのである。
二、さて第一軍需工廠においては、同工廠長官は、同年同月十八日に同日附の原告あての通牒(甲第六号証)を発し、前項に示した大臣通牒の(イ)及び(ロ)の事項を転牒した(第一・二号)ほか、前示(ハ)の趣旨に従い、原材料・仕掛品等の資材については、これを原告の自由な処分に委ねることを前提として、「努メテ民需ニ振向クル如ク貴社(註、原告を指称する。)ニ於テ適宜処理スルコト」(第三号)を指示しただけで、借受物件である工場施設の返還と同時に、資材等の占有を原告に移したのであるが、後者の所有権がこの両通牒によつて原告に移転したことは、前示(三四)(ヘ)のとおり、当事者間に争いがないのである。なお、前示大臣通牒は前摘録の外、「実施ニ伴フ経理措置ハ速ニ之ヲ完了スルモノトスル」旨(第一〇号)を指示したが、前掲諸物件は、工廠長官の指示に従い、工廠存続中その職員であつた原告の社員によつて、爾後原告に保管を転換されただけで、資材等についても、当時直ちに、その移転原因若くは方式及び対価の有無等を決定する等その他の経理手続はなさなかつた。
思うに、原告からの借上げにかかる土地・建物その他の工場施設が原告へ返還され旧に復するに至つたのは、さきに原告に対し発令された使用が前示大臣通牒によつて廃止された結果であると推認することができる。これに反し、第一軍需工廠関係の官設諸設備類はもちろん、同工廠保有の資材等は、前第二に認定したとおり、使用令によつて官に取得されたものでないから、これらの所有権が原告へ移転した法律原因は、借上物件の返還と同一に理解することはできない。ただ、これらの物件は、もと原告所有の工場に施設されたものであるか、または、原告の所有に属したものであるから、工場施設に対する使用が廃止されたと同時に、これらを特定の公の目的に供用する必要が消滅し、公用廃止によつて公物たるの性質が失われ、私法上の所有権の客体として、国有財産法の制限に従い、主として民法の支配を受けるに至つたものである。すなわち、前示大臣通牒は、みぎ物件の公用廃止の決定を前提としたものと推認できるのであり、被告国は原告に対し官設諸設備については特に無償と明示して払下(所有権譲渡)を為し、また原材料等の資材については、何らの原因(原告又は被告らの各主張するような原因の認めらないことについては、後に(五三)(五五)に説明する。)又は対価の有無を指示しないで、所有権移転の意思表示をしたものと認めるのほかなく、原告もまた、別段の留保を止めないで、これを受領したものである。
三、第一軍需工廠において、資材等をすべて原告の占有に移したゆえんは、一に工廠設立当時からの事情に因由するものである。すなわち、さきに同工廠の設立に際し、原告の事業を一丸として国営に移すことが企てられたとき、工場等の施設は使用令により一時国において使用することとしたので、工廠廃止等のときには、法律的に当然にその返還が予定されていた。しかるに資材等は、そのとき国に買い上げられ、国有に帰していたので、その法律関係は、工場等施設のそれと趣を異にしたが、なお且つ、工場施設と資材等とは、経営経済的に不可分のゆえに、工場自体が原告に返還されるときには、工廠の保有する資材等も何らかの措置によつて原告が取得できるような方策の講ぜられることの事実的の諒解が存した等の事情があつたのである。されば、みぎようの事情に明るい同工廠長官が使用令による使用の廃止による工場施設の返還の機会に、同時に資材等の処分を一任されて、これを原告に譲渡したことは、みぎの諒解に添うゆえんであり、且つ、原告は、依然存続し、また、社長以下の幹部はもとより、原告の社員・工員は、工廠の存続中そのまま工廠の職員であつたが、いつでも旧に復して、原告の事業の新発足に寄与できる状況にあつて、工場等施設の返還と時を同じくして、いま資材等の所有権が原告に帰することは、原告のためにはもちろん、延いては国民経済の再建に資するものと考えられたのであり、従つて工廠廃止に伴う事務処理の方式としても最も簡便であり、もとより前示大臣通牒の期待に反するところはなかつたのである。
以上のようにして、原告は、経営を工廠に移管したその日から四ケ月有半にして再びその経営をとり戻し、工廠において使用していた土地・建物・機械設備等の返還を受け、且つ、工廠廃止当時にその保有していた器材・資材等についても、すべてその所有権が原告に移譲された。もつとも、みぎ資材等の所有権移転については、前項判示のとおり、その頃原告と被告国との間に、その移転原因に関する合意ないし有償とすべきか無償とすべきかについての協議を遂げていなかつた。しかしそれは、みぎの移転が専ら(四六)に判示したような情勢を背景とする緊急非常の措置として為されたからであつて、軍需省当局が終戦直後の混乱時に会して、工廠の整理事務につき直ちに一定の方針ないし見透しを持ち得なかつたことが、以上のような異例の処分をもたらしたものと解するのほかないのである。また、原告との間の特殊関係としては、さきに被告国が工廠設立時に資材等の買い上げによつて原告に対し負担した債務も終戦時なお全額未払であつて、そのままこれを支払うべきか、あるいは、別途に整理方法を講ずべきかが終戦後の問題として早晩解決を要することでもあつた。従つて、この未解決の問題の伏在する折柄、工廠廃止に伴う整理事務は、工廠に残存した資材等の所有権移転の処分だけで終了すべくもなかつたのであり、また現に、後出Bに説明するとおり、翌昭和二十一年中まで持ち越されて、被告国と原告との間に継続的な折衝を要し、後に覚書の交換によつて、ようやく終戦時における所有権の移転が確認され、原告は、その対価名義による相当金員の支払を約する等の契約が結ばれたのである。従つて、それに先行した資材等の所有権移転の事実だけを切り離して考えること自体に問題が存するともいえようが、この物権契約のうちに、これを合意した当事者双方が意識したと否とにかかわらず、当時なお未解決の政府債務を如何に処理するかの問題との関連において、将来資材等の所有権移転の報償を問題となし得る含みが与えられたるものと思われるのであつて、この意味においても、当事者双方が、資材等を緊急に移転するための原因となる行為を強いて設定しないで、これを無因的に行つたことについての合理性が見出され得るのである。
B 終戦直後に原告に譲渡された資材等に関し、その後に原告と商工省整理部との間に行われた交渉経過と、昭和二十一年一月八日附覚書に基く決済について
一、軍需省は、終戦後間もなく廃庁となり、第一軍需工廠に関する残務整理を一括して商工省に引き継いだわけであるが、混乱時のことでその引継は充分でなく、同省整理部は、同年十月頃に至つて、原会社から乙第二号証の契約代金等の主張を受けて、それが大部分未履行のままになつており、官設民営施設等が原告に無償で払い下げられており、さらに、原告が、資材等をも無償で払下を受けた、と主張していることを知り、同年十一月初旬担当事務官を専任して、原会社とも交渉し、主として国営移管に伴う資材等に関する政府債務と、終戦直後における資材等の処理について、その整理を進めることとなつた。そうして整理開始の当時原告は、前者すなわち移管当時における政府債務については、当初の契約を修正することなく、全額即時に履行さるべきことを強く主張し、後者すなわち工廠保有の資材等の終戦時の処理については、官設施設及び機械と同様に無償払下を受けた、と主張していた。しかもこの間に原告は、資材等買収代金の内金として、昭和二十年八月二十七日に金四億円を、同年十月一日に金三億五千万円を各受領していた。また一方商工省整理部は第一軍需工廠の設立・廃止に関する資料を蒐集調査し、種々検討を加えた結果、部内の一部に、前者すなわち国営移管時の政府債務については、終戦を予想しないで締結された契約を、敗戦という事情の根本的に変更された現在、なお無修正のまま債務全額を履行することは、事実上原告に対し終戦に伴う損害を全く負担させず、他会社に比し有利な取扱いをすることとなり、補償問題全般に悪影響を与えることにもなりかねないという理由で、これに反対する者もあつたが、政府債務の全額履行は、原告の強く要望しているところでもあり、また、一応支払義務の確定しているものは、完全に支払うこととするのが整理方式としても正当であるところから、国営移管時の政府債務は、当初の契約に修正を加えることなく、その全額を履行する方針を立てた。しかしながら、後者すなわち、資材等の終戦時の処理に関しては、政府が莫大な数額に及ぶ官有資材等を無償で払い下げるなどということは、本来あり得ないし、払下自体の有無はともかくも、無償ということはあり得ない、という考えに立つて、官有資材等については、官設施設及び機械等と同様に、原告に不当の利益を与えることにならないように、工廠整理の一環として、一応これを白紙の状態に還元し、有償払下の方向で整理を進めることとして、その旨を原告に申し入れたのである。
二、ところで原告としては、政府債務が無修正で全額履行されることは比較的速かに契約代金の支払を受け得られるとの予想の下に当初から期待したところで、もとより、異論のあるはずはなかつたが、終戦時の工廠保有の資材等の整理に関しては、無償払下の主張が容れられないにしても、新たに有償払下を受けるということになつては、スクラツプ同様の全く無価値な資材についても対価を支払わなければならないこととなり、甚だしく不利益をこおむることとなるところから、もしさような整理方式のとられる限りは、原告が将来事業を営むに当つて必要な資材のみを、その選択するところに従い払い下げられるように措置されるべきことを要求し、あるいは、新たに払下を行うというのであれば、そのときまで原告が官有物件を国のため保管することになるから、その保管料の支払を求めるなどと主張するに至り、終戦時の資材等の処理に関する整理については、容易に政府と原告との間に交渉がまとまらなかつた。しかしながら、商工省整理部としては、一般軍需会社が莫大な数量に及ぶスクラツプを抱え、非惨な実情にあるとき、独り原告のみが政府の損失においてこれを免れることは、一般軍需会社との間に著しい不均衡をもたらすことになるので、工廠整理に伴う原会社の立場は、一般軍需会社と同等以上には取り扱われ得ないものであることを説き、工廠保有資材等を、政府においても考慮する相当な価額で全面的に引き受けるべきことの説得につとめ、その結果、原告もほぼこれを了解するかの状況に達した。みぎのような状況にあつた昭和二十年十二月二十八日頃に原告会社福島工場が軍需省所属の軍需工廠の工場であつたとの理由で、その機械施設はもとより、器材・資材等に至るまで、昭和二十年九月二日附指令第一号(陸海軍一般命令一号)に該当するものとして、連合軍福島軍政部により接収されるという事態が発生し、工廠整理は一面において急速な完結を迫られるとともに他面において前掲指令第一号に違反しない方法で処理すべきことを要請されるに至つたのである。
そこで同整理部において前示軍需大臣通牒を検討した結果、該通牒によれば、払下の無償ということはともかくとして、資材等を払い下ぐべきことを指示した点は十分に推測できるところから、工廠保有の資材等は、終戦時に前記通牒に基いて原告に払い下げられ、原告においてその頃所有権を取得したことを確認し、その代金に相当する金員(その算定基準は、次項判示のとおり)の支払義務を原告に負担させることにより、一面官有資材等の払下については、その代価を被告に支払わせるとの既定方針を維持するとともに、他面前示指令第一号及び軍需品処分命令に違反する結果を避けて、工廠整理を完結できる、との結論を得た。そこで、既定方針によるみぎの実施案について原告と折衡した結果、昭和二十一年一月八日にその旨、並びに、その決済方法に関する同日附の覚書が商工省整理部長と原告会社社長との間に交換された。
三、すなわち、被告国と原告とは、前示覚書中において(い)、先ず、「第一軍需工廠設立ニ伴ヒ中島飛行機株式会社(以下原会社ト称ス)ヨリ工廠ニ肩替リセル諸資産」が「工廠設立ニ伴フ契約」によつて、工廠設立の当時政府に帰属したについては、その契約を別段に修正することなく、これによつて処理することを前提的に確認し、従つて、その文外に、政府は、みぎ契約上の政府債務が引き続き全面的に存続することを承認したうえ、さらに、(ろ)終戦当時に工廠の保有していた「船舶・運搬具・工具・器具・備品・材料及ビ仕掛品ハ昭和二十年八月十七日付軍需大臣ヨリ第一軍需工廠長官宛通牒ニ基キ原会社ニ払下」げられたことを確認し(第一項本文)、原告は、その対価に相当する金員を支払うべきことを約し(第一項但書前段)、その対価相当額は、終戦当時の帳簿価額を一応の基準とするが、資材等の値下りにより、「払下物件ノ保有ニ伴ヒ生ズベキ損害」を考え、「契約解除、製作停止ニ伴フ損害賠償要領」に従い、その残存価額をもつて計算すべきことを定め(第一項但書、同後段)、原告の負担すべきみぎ債務は、「工廠設立ニ伴フ契約」による資材等買収の政府債務と対当額で「相殺ヲ建前トシ其ノ過不足」について清算払いすべきこと(第四項)等を定めたのである。なお、みぎ相殺による決済方法が採用されたのは、当時一般に臨時軍事費の支出を可及的に減少せしめることが要望されていたので、これに添う趣旨に出たものであつた。以上のような覚書の内容とする契約の性質については、後に(五三)に説明する。そして、対価相当金の算定については、みぎのとおり、帳簿価額を基準とし、前掲損害賠償要領に従つて計算する残存価額とすべきことが約定されたのであるが、具体的な数額の決定については、終戦と同時に殆んどすべての帳簿書類等が焼却されていたうえ、これを現実に計算することは、実際上不能に近く、結局推定によるほかないため非常に困難な問題を包蔵しており、容易に確定されなかつたが、結局昭和二十一年五月頃までに金四億二千余万円ということに決定をみて、原告側もこれに承服したのである。
四、原告は、みぎ数額の確定をみて間もなく、昭和二十年四月一日附契約書(乙第二号証)に基く対政府債権のうち、さきに二回に亘り受領済の内金六億五千万円を控除した残額金十億四千五百六十余万円を請求するに際し、前示昭和二十一年一月八日附覚書第四項により、払下資材の対価相当額等につき、前示対政府債権の残額と対当額で相殺する趣旨において、その額を請求金額から控除して、その残額金六億一千百二十余万円を請求し、その頃政府特殊預金をもつてその支払を受けたのである。すなわち、原告は、資材等の払下代金を対政府債権をもつて対当額で相殺する意思を表示したのである。
以上のとおり認定できる。前示乙第十六号証の五・六及び九、並びに、証人牛山雅夫、同山本昇、同太田輝及び同崎谷金二の各証言中、前認定に反する部分はこれを信用しない。
五、以上(四六)ないし(五二)に認定したところをまとめて考えると、終戦時における原材料等の原告への譲渡については、それが終戦直後に、前示のように、移転の原因及び方式、並びに、対価の有無等を協議するいとまなく為されたために、その後原告及び被告国の間において、みぎ資材等の所有権帰属の権利関係が不明確であるとされ、またその対価の有無についても、工廠設立時に発生した政府債務の履行と関連して、双方とも決定的の意思表示をするまでに至らなかつたにせよ、それぞれの当務者間において、対立的の反対の主張に近い論議が試みられたこと、しかし、こうした争いに近い状態を解決するための折衝が重ねられた結果、互いに譲歩して、昭和二十一年一月八日に至り前示覚書において、
(1) 被告国は、原告に対し
(イ) 工廠設立時の資材等の買上げによる政府債務全額の存続を承認し、
(ロ) 工廠保有資材等の所有権の終戦時における原告への移転を確認し、
(ハ) 簿価約十九億円の資材等の対価額を、前示の標準によつて後に確定することとし、
(2) 原告は、被告国に対し、
(ニ) 新たに、終戦時に取得の承認された資材等の対価名義において、みぎ(ハ)によつて確定せらるべき金額の支払についての債務承認をし、且つ、
(3) 原告及び被告国は、みぎ(イ)及び(ニ)の二個の対立する債権債務の支払方法として、後日に相殺により決済し、その差額を授受する旨を前もつて約する等
の諸事項を内容とする協定に達したものであること、従つて、みぎ協定の趣旨は、原告が被告国に対し資材等の対価名義による相当金員を支払うべき旨の債務承認をすることを骨子として、その他に第一軍需工廠の設立及び廃止に伴い当事者間に生じた法律関係の一切の疑義の解決とその具体的処理とを定める目的に出た和解類似の無名契約を合意するにあつたものと解されるのである。
被告らは、みぎ認定に反して、終戦時における資材等の所有権の移転に際し代金支払についての暗黙の合意がなされたと主張する。まことに、工廠保有物資の全部が無因的に、また無償で払い下げられるということは、通常あり得ないこと、しかも当該物資中には、前説明のように、さきの国営移管に際し政府が原告から買い上げた物資が含まれていたこと、並びに、この所有権移転の措置は、終戦直後に政府の一方的発意に出でて行われたこと等からしても、被告国の一方的立場から、あるいは(四八)後段に説明したように、後日に報償を問題とする含みを存したものといえるであろう。しかし、その程度以上に、国内事情の全く急転した当時の情勢下において、代金支払についての暗黙の合意があつたと推認することは相当でなく、かえつて前掲乙第六号証中にいう「実施ニ伴フ経理的措置」が当時直ちに行われなかつたことから考えても、この点の明示又は黙示の合意がなかつたものと見るのほかはなく、他に被告らのみぎ主張を肯定させる資料はない。また被告らは、予備的に、前示覚書により原告の負担した資材等の対価名義の金員支払義務をもつて、その代金債務であると主張するが、該資材等の所有権がこれよりさき既に終戦時に原告に帰属したことは、被告の争わないところであるから、該覚書による協定は、みぎ物件について典型的な売買契約を結んだものと見るべきでなく、前判示のように、和解類似の無名契約を結ぶにあつたと解することが相当である。もつとも、被告らの主張するところも、基礎的事実としては、前判示と異なることなく、被告らは、昭和二十年八月十七日に資材等を売り渡したと主張しながら、当時未だ代金額はもとより、その算定の基準さえ定まつていなかつたことを自認しており、結局は、前示覚書によつて発生した金銭債務を被告らの法的評価において、売買代金債務であると主張するに過ぎない。よつて、以上の認定が被告らの主張する基礎的事実の範囲外に出たものでないことは、もちろんである。
以上に説明したところにより、原告と被告国とは、結局において被告らの主張するような互いに対立する反対債権を取得することとなり、原告は、昭和二十一年五月中に自己の債権額を控除して、その余の政府債務の履行を請求したとき、原告の有した金四億二千二十三万八千五百三十円十九銭の債権の限度において、被告国が原告に対して負担していた前示(四一)に認定の戦時補償請求権について相殺が行われ、戦時補償特別措置法第二条の規定にいう決済の効果を生じたものとして、原告は、同法第八条・第十三条の規定による同額の戦時補償特別税の納税義務を負担するに至つたものである。
C 原材料等の所有権の原告への移転原因、並びに、政府債務の処理についての原告の主張を採用できないこと
一、(一〇)の所論について、終戦時において、政府が原材料等の所有権を原告に移転し、且つ、これを引き渡したことと、甲第六号証及び乙第六号証との関係については、(四六)及び(四七)に説明したとおりである。原告は、大臣通牒の第二号にいう機械「等」とは、原材料・仕掛品をふくむ趣旨であると主張するが、みぎ同号に定める物件は、「原会社ヨリノ借上」という文字の示すとおり、原会社の所有に属し、政府がこれから借り上げている設備・機械類に限られるべきで係争の官有物件である資材等がこれと法律的に権利関係を異にすることは、まことに明かであるので、この後者に及ばないものと解すべきであり、これを原告の主張するように読むことは、みぎ第二号の文理解釈上からも無理である。若し、原告の主張する解釈に従えば、同通牒の第五号は、これと重複し、あるいはこれと相牴触する措置を命ずる不合理をあえてしたこととなる嫌いがある。簡に失するが故に、真意をとらえがたいこの通牒も、その第二号と第三号とは、その数少い文言中になお国有の物とそうでないものとを区別している。そうして、前示(四六)ないし(四八)に示すように、原材料・仕掛品等の国有物の処分権が第一・第二各軍需工廠当局に委ねられた結果、前示乙第十六号証の十一及び証人等松農夫蔵の証言によれば、現に第二軍需工廠においては、第一軍需工廠におけるとやゝ趣を異にし、旧川西航空機株式会社ばかりでなく、一応は、神戸市等の公共団体その他の民間の手にも交付される等の処置が講ぜられる結果となつたことが認められる。この後の処分方法が、当時としても策の当を得たものであつたかどうかは別として、よるべき根拠とされた前認定の大臣通牒の趣旨に徴すれば、必ずしもこれに反したものとはいえないようである。かくして、第一軍需工廠において、政務借上げの工場等施設と政府所有の原材料・仕掛品等とがあたかも同時に原告に引き渡されたことは、事実であるが、少くとも、通牒面にあらわれた限りにおいても、一は借用物の返還であつて、既定の義務の履行であるに反し、他は所有権の処分であり、新たな利益の供与であつて、経済上及び法律上の意義において同一に評価すべき事柄ではないのであるから、ことさらに原告の主張する趣旨によつて、みぎ二者を前示大臣通牒の第二号中にいわば十把一からげに扱つたものと見ることは、相当でない。
二、(一一)の所論について。原告は、資材等を返還されたものと解すべき法律原因を(一一)(1)ないし(3)のとおり述べている。しかしながら、
(1) 原材料・仕掛品等は、工廠設立の当時に国に対し売却されたものであることは、前認定(四一)のとおりであり従つて、原告の事業経営に対する国家管理が廃止され、使用令の対象である原告所有の工場・機械・施設等が返還されたからとて、法律的には、別途国有に帰した資材等の所有権が当然に原告に返還されるいわれはない。それは、土地収用法又は国家総動員法において、事業等のため不用となつた徴収又は収用物件を被徴収者が回復できる権利を認めたような、法律上当然に発生する権利によつて、回復できたものではない(あるいは、契約に基くものであるか否かについては、次段(2)の考察に譲る。)。また、その物の大部分の所有権がもと原告に属し、いままた、再び原告においてこれを得たことを目して、所有権の返還又は回復と称することは、経済的用語としては格別、法律的には、用語の適切性を欠く嫌いがある。ただ、当裁判所が必ずしも全面的に被告らの主張するような売買の説に賛しないことは、前説示のとおりである。
(2) 原告の企業経営が一切被告国の手に帰属した後も、原告会社が引き続き存続していたことは、前示(四三)(四八)のとおりであり、また、証人太田輝等の証言によれば、政府が原告所有の資材等を買収した目的は、専ら国営工廠における航空機生産の用にあてることにあつて、当時これを他の目的に流用するというようなことは、政府も原告も全く予期していなかつたことが認められる。しかも工廠に資材等の残存するものがあれば、経営を原告に返還すると同時に、なんらかの措置を講じてこれを原告に振り向け、原告の経営再開に事欠かぬよう処理されるであろうことが国営移管の関係者間に予想されていたことは、前示(四三)(四八)のとおりである。しかし、前認定の売買契約において、みぎの予想という程度を超えて、これを契約の内容として合意したことを認めるに足る証拠はないから、結局この予想は、契約締結の縁由であるに止まつたものと解するを相当とする。
(3) 原告が終戦直後に工廠に残存していた資材等を譲り受けた当時、国営移管時における原材料・仕掛品等の代金債務が未だ一金も支払われていなかつたことは、前示のとおりである。従つてこのような場合、残存資材が移管当時の売却資材と同一性を有するものと認められる限り、原告主張のように、残存資材等が原告に引き渡された限度において当初の売買契約を解除する方法による整理が時宜に適したものであつたかも知れない。しかし、終戦直後の資材等の所有権の移転に際して、被告らの主張する売買についての暗黙の合意の成立が認められないと同様に、契約解除についての合意を認めるに足る証拠はない。かえつて、前認定のように、軍需大臣通牒による委任があつたとしても、実際に資材等の処分のことに当つたのは、第一軍需工廠長官であり、同長官は、単純に、工廠廃止に備える目前の必要と、資材等の大部分がもと事実として原告の所有であつたことでもあるところから、これら資材等を原告をして新たな事業を開始させるために資しようとの配慮に出発して、これを原告に譲渡したものであり、これに反して、戦時中の資材等買収契約の処理について、何らの権限を有しない工廠長官の処分に、この契約の合意解除の意思表示を認める根拠は、さらにないのである。また、ことを実質的に考えても、本件の場合、工廠保有の残存資材等は、国営移管当初のそれに比較して著しくその内容を異にしている。すなわち、前示乙第十号証、証人牛山雅夫、同崎谷金二の各証言(以上証言のうち前出及び後出の信用しない部分を除く。)並びに、弁論の全趣旨をまとめて考えると、終戦時の工廠に残存している資材等のうち、原材料は、国営移管当時より著しく減少しているに反し、職場を流れる仕掛品は、比較的増加していること、しかも仕掛品の帳簿価額は、製作費・疎開費等までこれに織り込まれて著しく膨大しているが、現実の価額は、終戦時を境として特殊材料等の価額とともにスクラツプ化してしまつていること、また残存資材等のうちには、原会社から買い上げたもののほか、第一軍需工廠において新たに買い入れた資材等も含まれ、その量においていずれが大であるかはとも角として、四ケ月有半に及ぶ工廠経営期間中に相当量の入替えの行われたことが認められるのであつて、たとえ資材等の代替性に著目するとしても、移管当初の資材と工廠廃止当時のそれとの間に同一性ありとみることは到底相当と思われない。また、前示のように、原告が終戦直後に資材等の払下を受けた後も、当初の売買契約に基く政府債務の全額履行を求め、同年八月二十六日及び同年十月一日の二回に亘り計金六億五千万円の内金払を受けた事実は、当時原告としても、原契約について一部の合意解除が行われたものと考えていなかつたことの証左である。
三、(一二)の所論について、原告は、前示覚書交換の趣旨は、損失補償額の調整であると主張するけれどもその主張の前提とする資材等の移転原因に関する主張が認められない限り、その主張の当を得ないことは、既に説明を要しないこととなろう。ただ、前示乙第八ないし第十四号証、並びに、証人根本祐隆の証言をまとめて考えると、現に商工省整理部における整理実施案の一つとして、本訴において、被告らの主張するように、工廠設立当時の原材料・仕掛品等の数量から終戦時に原告の取得した資材等の数量を差し引いた量、すなわち工廠の設立なかりしものとして工廠時代に消費された量のみを補償することとして当初の契約代金を修正する整理方式が交渉間の話題となつたことを認めるに足る。ところでみぎに掲げた各証拠をまとめて考えると、この案は、原告側の賛同を得られず、商工省部内においても結局採用されるに至らなかつたこと、すなわち商工省整理部の担当事務官が整理開始の当時、みぎの整理案を原告に示したところ、当時原告は、工廠保有資材等を終戦直後に無償で払い下げられたものと誤信し、当初の契約代金は、全額支払われるべきことを期待するとともに、その迅速なる支払方を求めていた当時のこととて、今更、みぎのような整理案を実施されるにおいては、その支払がますます遅延するおそれのあるところから、これが成案化について強く難色を示していたし、また商工省整理部においても、国家移管当時の資材等と、終戦当時工廠に残存していた資材等とは量的にも質的にも同一でないのに、これを同一にみて、工廠運営中に使用消耗され、または毀滅減失した分についてのみその補償を行うという整理方式は、いはば工廠の設立なかりしものとの擬制の上に立つ整理方式であり、加えるに、このような整理方式は、終戦とともに一切の書類帳簿等の焼却されてしまつた当時の状態においては、実際問題として、技術的に実施困難であるとして、結局において否決され、廃案となつてしまつたこと、このような経緯を経た後、国営移管に伴う政府債務は、修正を加えないで、その全額を支払い、工廠保有資材等については、あらためてその代価を支払わせるという整理方針を決定し、原告の了解をも得て、この方針による整理を進めたものであること等の事情を認めることができる。これを要するに、工廠設立当時の売買代金額を後に修正変更するために該覚書が交換されたにすぎないと認める根拠は、ついにこれを発見できないのである。
四、十四の(4)の所論について、前示乙第五号証によれば、原告が昭和二十一年五月中、前示のように支払残額の請求をするに当つて政府に提出した請求書には、資材等の払下価額金四億二千余万円を「控除額」と題して、対政府債権の支払残額から控除していることを認めるに足り、また一般的にみて、国と私人との間に民法上の相殺が行われた場合、政府会計官吏は、会計法上、支出官事務規程に基いて歳入歳出の二通の小切手を発行し、相殺額を歳入に納付して整理すべきものであるにかかわらず、本件においては、みぎのような手続の行われなかつたことは、被告らも自認するところである。しかしながら、原告が乙第五号証の請求書においてみぎ金額を控除したのは、前示覚書第四項に資材等の払下代金を昭和二十年四月一日附契約書に基く政府債務と対当額で相殺すべきものと明定された趣旨に則つて、相殺する金額を請求金額から差し引いたものと解することが相当であり、かつまた、公知のように臨時軍事費特別会計においては、臨時軍事費の支出を軽減し、予算の効率的運用をはかる趣旨から相殺額の歳入納付を行わず、定額戻入により歳出予算に繰り入れることが一般に行われ、会計検査院もこれを承認していたのであるから、歳入納付の手続の行われなかつたことをもつて、直ちに相殺の事実を否定する資料とすることはできない。 (第三、おわり)
第四被告東京国税局長が原告の審査請求についてした処分の適否について
一、以上説示したとおりであるから、麹町税務署長が、国営移管に伴い原告の取得した戦時補償請求権のうち、係争の金四億二千二十三万八千五百三十円十三銭につき、戦時補償特別措置法第二条にいう決済があつたものと認め、みぎ金額を包含する金十三億二千三百六十八万三千百四十六円十九銭を原告に課する戦時補償特別税の課税価格として、その申告額を更正したこと、並びに、これに対する原告の審査の請求について、被告東京国税局長がなした審査決定は、原処分を維持している限りにおいては、先ずなんらの違法が存しないものといわなければならない。ところで、被告東京国税局長がみぎ審査決定において、原更正額を金十五億千百七十二万九千八十七円に増額したことは、前示のように、被告らの認めるところであるが、原告は、国税局長が審査決定において課税価格を増額することは、その内容の当否いかんにかかわらず、手続的に違法であると争うので、以下この審査決定の手続面の適否についてのみ判断する。
二、ひろく、租税賦課の手続中の問題として考えるに、賦課処分に違法があるとして、救済手段が認められる場合において、上級監督官庁である国税局長が下級官庁である税務署長の為した処分を審査して、それに違法又は脱漏のあることを発見したときに、単に原処分を取り消すに止めて、一定の指示のもとに新たな処分を為すことを下級官庁に命ずることができるに過ぎないか、あるいは進んで、原処分を取り消し、自ら相当と認める処分をすることが許されるかは、一にこの二の方法の利害得失に関連する立法政策のいかんに属することである。さて、戦時補償特別措置法(以下、戦補法という。)は、みぎの点については、その「審査、訴願及び行政訴訟」と題する章下に、「納税義務者は、(中略)課税価格の更正又は決定に対して異議があるときは(中略)、政府(註、国税局長をいう、同法施行規則第八十四条。)に審査の請求をなすことができる。」(第三十条第一項)とし、つづいて、「政府(前に同じ。)は、前条第一項の請求があつたときは、これを決定」(第三十一条)する旨を規定するに過ぎない。審査の対象となる「これを」という決定の内容のいかんは、用語がまことに簡であるから、その解釈については、同法の規定の文字の末にとらわれることなく、所得税法等他の税法の規定が参考とせられねばならない。
三、さて、現行の昭和二十二年法律第二十七号所得税法又は同年法律第二十八号法人税法中の課税処分に対する不服申立は、再調査及び審査等とされ、その規定は、詳密を極めるが、それは、昭和二十五年法律第七十一号所得税法の一部を改正する法律又は同年法律第七十二号法人税法の一部を改正する法律により改正されて、同年四月一日から施行されたものであるから、これに関する説明を後(六二)に譲り、前示戦補法第三十一条の規定と同旨の立言は、みぎ新法による改正前の所得税法旧第五十条第一項、法人税法旧第三十七条、昭和十五年法律第二十四号旧所得税法第六十八条第一項、大正九年法律第十一号旧所得税法第六十一条第一項、昭和十五年法律第二十五号旧法人税法第二十四条第一項、昭和二十二年法律第二十九号特別法人税法の一部を改正する等の法律第十六条の改正による国税徴収法旧第三十一条ノ三等の規定に見えている。もつとも、納税義務者の所得金額の決定の方式について戦前の立法は、専ら政府の調査によりこれを決定し、その場合の申告は、政府決定の参考資料とされるに過ぎないものとしたのに対して、終戦を契機とするその後の立法においては、第一次的には、納税義務者の申告によるものとし、決定又は申告した年額の更正は、例外的に行われることを立前とすることとなり、その間に重要な変革が加えられている。しかし、この戦後法においても、審査請求という不服の申立は、申告がなかつた場合の政府の決定、または、不真正の申告額についての政府の更正に対してなされるのであるから、不服が所得の数額の争いに関する限りにおいては、審査の対象は、政府の決定した所得の数額が果して相当であるかどうかの問題に帰することは、彼此同一である。従つて、審査の範囲は、所得金額の決定という事実認定の問題にわたるのであるから、審査の方法も原処分庁の為すところの調査と異ならないのである。かくして、旧所得税法は、あらためて、審査を所得審査委員会に附議して、原則として、その決議によるものとし(第六十八条第一項)、同会に事実(所得額)の調査権限を与え(同条第二項)、その決議によることのできない一定の場合において例外的に、政府において、「所得金額ヲ決定ス」るものとし(同条第三項、第三十八条)、このようにして財務局長が「所得金額ヲ決定シタルトキハ之ヲ納税義務者ニ通知スベ」き旨(旧所得税法施行規則第八十条)を規定したに止まり(大正九年法律第十一号旧所得税法第六十一条・第五十二条、同法施行規則第五十九条の各規定は、以上の旧所得税法中の各規定に踏襲されている。)また戦後の立法である所得税法旧規定は、第一次的には、課税価格の政府決定主義を棄て、申告制度を採用したから所得調査委員又は所得審査委員、並びに、これらによる事実調査に関する規定を再設しなかつただけで、政府のした決定又は更正に対する不服申立のあつた場合につき、その旧第五十条において、旧法第六十八条第一項におけると同旨の規定をし、財務局長(後に、国税局長)のために質問権、並びに、計算書その他の書類の提出を求める権利を認める旨(昭和二十二年勅令第百十号所得税法施行規則旧第四十八条)を定めただけで、その他審査の方法・範囲に関して、別段にこれを制限した規定を設けておらないこと、並びに、財務局長又は国税局長が税務署長に対し一般監督権を有する上級官庁であること等をもつてすれば、前掲の新旧各法条に定める審査の制度は、不服の申立によつて、税務上級官庁の監督権の発動を義務ずけ、これをして、原処分の内容の当否の判断にかかわりなく、いわば覆審的に自ら相当とする処分を為さしめるにあるものと解することができる。すなわち、旧所得税法第六十八条第一項、所得税法旧第五十条第一項の各規定にいう「これを決定し」とは、これら各法律の他の法条との関連において、課税価格の決定を指称するものと解釈することが相当である。そうして、このように解することは、専ら国家財政の見地に立つとき、その重要な財源としての租税収入を迅速且つ効果的に、しかも統一的に確保するゆえんであつて、また、事務の簡素化にも資するものと解せられないではない。もつとも、前示昭和二十二年勅令第百十号所得税法施行規則が同年四月一日に施行された後、同年十月二十日に同年政令第二百二十一号により新たに第六十五条ないし第六十七条の各規定が設けられ、これによると、国税局長は、独自の立場から、何時にてもその調査により所得金額又は納税額の更正又は決定をする権限を与えられたことになつており、これらの規定は、昭和二十五年政令第六十九号によつて廃止された。この後の政令、並びに、これと同時に公布された同年法律第七十一号による改正後における国税局長の権限のことは、なお後(六二)に譲るとして、前示施行規則旧第六十五条の施行前においては、国税局長は、審査決定において、更正の権限を有しなかつた、と原告は、主張するのであるが、みぎ第六十五条及び第六十六条の規定は、国税局長に税務署長とならんで所得金額又は納税額を決定する権限をも認めており、第六十七条の規定によれば、第六十五条の規定により国税局長がなした更正又は決定に対しても審査の請求をなすことができる旨を規定し、且つ、これらの規定は、施行規則旧第五章の審査に関する第四十七条及び第四十八条の各規定とは、全く無関係別に個の立場で定められているところから見れば、それは、あえて納税義務者からの不服申立がない場合においても、国税局長が監督権の発動として、職権により自ら調査し、且つ、その結果に基いて、税務署長に代つて決定又は更正の処分をなすことを規定したものであつて、いわば始審的のものであり、納税義務者の不服申立に基く審査決定の過程において、国税局長が行う所得額又は納税額の決定の処分とは、相関するところがないものといわねばならず、むしろ特にこのような規定をおいたことは、審査決定の過程において、国税局長の有する監督権に基く決定又は更正の処分をなす権限の存在を前提として、これをひろくその他の場合に拡張したものと見られるのである。なお、旧所得税法においては、所得金額の最初の査定についても、後に脱漏あることを発見した場合の処分についても、ひとしく所得金額の決定という語を用いているに反し、現行所得税法において、立法の最初から前者を決定、後の変更を更正と称して、用語を区別しているけれども、審査の結果の判定としては、ただに原処分による数額を増減(即ち更正)するとは限らず、原処分のままの数額を維持する場合もあり得るわけであるから、前示所得税法旧第五十条の規定は、審査の請求に判定を与える意味において、且つ、前条の審査の請求の語を承けて、各般の場合の結果に共通させる用語として、従前の用語例のままに、決定という語を用いたものと解されるのであつて、それは、申告のない場合における所得金額又は納税額の査定を意味する決定と全く同義でないことは、もちろんであるとともに、更正という文字を用いなくとも、それと同一の効果を生ずる場合のあることを否定するものではないのである。
四、前項に説明したとおり、審査請求における審査の範囲及び方式、並びに、国税局長の権限についての所得税法の規定は、少くとも、昭和二十五年法律第七十一号による一部改正前においては、旧法下におけると変りはなく、国税局長は、いわば覆審の裁判を為すの権限を有したのである。戦補法は、旧所得税法が未だ行われていた昭和二十一年十月十九日に同年法律第三十八号として公布され、申告納税の新方式をとる点においては現行所得税法に先んじたのである。しかし、同法中審査に関する規定は、まことに簡であるところ、前項に説明した新旧所得税法の規定による構想を出ておらず、しかも、この点に関する所得税法の規定は、申告納税制度を採用した一事によつては、変革を見るに至らなかつたのであるから、前示戦補法第三十一条の規定による審査の範囲及び方式、並びに、国税局長の権限については、すべて所得税法について、前項に説明したところと同様である。なお、戦補法第二十七条の政府とは、同法施行規則第八十四条の規定により、税務署長を指すとされているがみぎは、不服申立前の通常の場合の権限を定めたものであつて、不服申立に基く審査の過程における国税局長の権限を否定する趣旨ではありえない。以上の説明によつて、原告が本訴において主張する、国税局長の処分が手続において違法である旨の所論は、これを採用することができない。
五、以下になお、原告の主張(一五)に即して、前説明を補足する。
(1)、(6)及び(7)について。審査の請求は、戦補法のみでなく、各税法中の規定に、原処分に対する異議として、不服の事由を具してすべきものとされていることから考えて、上級監督官庁の再調査によつて、誤つた原処分に対する救済を与えることを目的とすることは、まことに、原告の主張するとおりであつて裁判における上訴にも比すべきものである。しかしながら、またその故をもつて、いわゆる不利益変更禁止が行われることは、理の当然であるとする所論は、当らない。思うに、不利益変更の禁止は、上級審における審理が変更を求められた範囲においてのみなさるべきであるという、弁論主義的思惟に出るのであるが、前認定のとおり、覆審である審査制度とは、根本的に相容れないものである。ことは、ただ立法政策上の問題として考えられるに過ぎない。(7)の所論についても、同様である。ただ前にも触れたとおり、前示所得税法施行規則旧第六十五条の規定は、既に廃止され、昭和二十五年法律第七十一号は、第六章第四十八条以下において、所得金額又は納税額の決定又は更正に対する不服申立は、従来の審査の請求の外に、その前段階として、再調査の請求という方法で許されることとして、審級を増し、違法の救済される機会を多くし、且つ、その場合に示される決定の内容を、却下・棄却又は全部若くは一部の取消の三種に法定して、不服を事後審的に改めた。この改正規定は、不服申立を専ら納税義務者の利益に利用させるという考え方に徹したものであり、原告の(7)のような所論が参酌されたものと考えられるか、明かに前説明の審査制度と趣を異にした全く対遮的の改正であり、(6)に原告のいうように、単に規定の体裁をととのえたという消極的の意味のものではない。しかし、戦補法には、かような修正を加えられていないが、それは、そもそ同法が戦後におけるわが国の財政の再建を目的として、戦時補償請求権に対してした一回限りの課税立法であつて、現に僅かに余喘を保つている存在に過ぎないことの相違の然らしめるところである。
(4)及び(5)について。(4)の所論のように、国税局長のした処分に対しては、さらに審査請求の途がないことになつても、この場合には、直ちに出訴が許されるから、救済手段が全く存しないわけではなく、また、昭和二十五年法律第七十二号所得税法の一部を改正する法律によれば、所得税については、国税局長自ら更正の処分を行わず、ただ国税庁又は国税局の収税官吏が税務署長に代つて調査をし、税務署長は、みぎの調査に基いて更正することに改められ、且つ、審査の過程においても、国税局長による更正の処分をしないことが明かにされたから、この改正法の施行後においては、国税庁又は国税局の収税官吏の調査による処分に対しても審査の請求ができることになつたけれども、この改正前においては(戦補法については、その改正がなされていないから、当然に)、審査の過程において、国税局長のした処分に対しては、審査の請求ができないわけであり、彼此その趣を異にすることは、怪しむに足りない。結局、この点の所論も立法論に帰着し、且つ、既に解決(戦補法にあつては、消極的に)された問題である。 (第四、おわり)
第五総括
以上第一ないし第四に説明したところの結論だけを要約すると、つぎのとおりである。
(1) 被告国は、過ぐる戦時中に第一軍需工廠を設立し、原告が当時所有した全企業施設を利用してみぎ工廠を運営し、終戦後に同工廠を廃止するに際して、工廠が当時保有した全企業施設を原告の占有に移して、その後の原告の事業の運営に資したのである(第一)。
(2) このための法律的の手続として、被告国は、工廠設立時において、国家総動員法に基く工場事業場使用収用令による使用令及び供用令を発したが、それは、原告の主張するところと異なつて、手続のすべてではなく、被告らの主張するとおり、別に被告国は、原告からその所有の原材料等の全部を帳簿価格で買い上げる旨の契約を結んだのであるから、後に金十六億五千五百十万余円と決定された契約金は、収用による損失補償ではなく、売買代金である。そうして、それは、終戦後に戦補法の施行により戦時補償請求権と目されるに至つた(第二)。
(3) 終戦直後における工廠保有の資材等の原告への移転は、原告の主張するような工廠廃止に伴う当然の返還措置ではなく、さりとて被告の主張とも異なり、当時直ちにその移転原因ないし対価の有無についての意思表示がなされなかつたが、その後工廠の整理事務として、原告と被告国との間に折衝が重ねられたすえ昭和二十一年一月八日に至つて和解類似の無名契約が結ばれた結果、原告は、みぎ資材等の対価相当額の支払を約し、後に、前示(2)の政府債務と対立する、原告の反対債務が独立に金四億二千二十三万円と確定し、原告が、後者の債権額を控除して、被告国に対し前者の残債権の履行を求めたとき、両債権の対当額について相殺が行われ、その額について戦補法にいう相殺による決済があつたものと認められる。それは、被告らの主張するとおり、相対立する各独立の債権債務の相殺であつて、原告の主張するような損失補償額の調整ではない。従つて、原告は、みぎ相殺額について戦補法による課税義務を免かれ得ないこととなる(第三)。
(4) 麹町税務署長は、前示(3)の数額の課税価格の更正処分を行い、原告から審査請求があつたところ、被告東京国税局長はさらに課税価格を増額して決定をしたが、原告の主張するところと異なり、同法による審査決定においては、不利益変更禁止の法則はなく、国税局長が独自の判断によつて課税価格を増額して決定する権限を有するから、その処分は、手続的に違法ではない(第四)。
(5) 従つて、原告の本訴請求中、被告東京国税局長の処分を違法として、その取消を求める請求趣旨第一項の請求は、理由がない。つぎに、この処分が取り消されない限り、原告が金四億二千二十三万余円の納税義務の不存在を主張することは、理由がなく、また、その納税義務は、実体的に不存在とは認められないから、被告国に対する第二項の請求も失当である。なおこの義務不存在確認の訴は、公法上の権利関係に関するいわゆる当事者訴訟に外ならないので、権利の帰属主体でなく、課税処分庁である被告東京国税局長は、当事者としての適格を欠くから、同被告に対する第二項の訴は、不適法として先ず却下すべきものである。
以上説明したとおりであるから、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中西彦二郎 西岡悌次 月山桂)